第一コリントNO26「福音宣教への集中」9章24~27節 仁井田義政 牧師
パウロは、コリント教会の間違った姿を見ていました。それは教会の存在目的を見失った教会の姿でした。このままではコリント教会は力を失い消滅してしまうので、そのようにならない様に手紙を書いたのです。そしてここは、日本の教会にも強く迫るところです。
★コリント教会は、目標が分散した状態にありました。指導者として正しいのはペテロかアポロかパウロかと論争があり、偶像に捧げた肉を食べるのは良いことか、悪いことかと論争がありました。教会がこのような問題に関心とエネルギーを分散してしまっていては、消滅する以外にないのです。
★パウロは、その様な分散してしまっていた教会の関心を集中へと導いたのです。結婚問題にしても、既婚者と未婚者はどちらが良いのかという論争には、既婚者であろうと未婚者であろうと「秩序ある生活をおくって、ひたすら主に奉仕できる為なのです」(7:35)と集中へと導きました。さらには「偶像に捧げた肉を食べても良いのか悪いのか」という問題には、「食べても問題はないが、それが弱い人を躓かせるなら今後私は一切肉を食べないと」と記して「なんとか幾人かでも救うためである。」と教会の目標をひとつに絞り、集中に向かわせたのです。
★教会の目指す目標はひとつでなければなりません。パウロはコリントで行なわれていた二年に一度のスポーツの祭典を例に出し、ひとつの賞を得るために、スポーツ選手は自分を訓練し目標を目指すと言いました。教会にも絶対に失ってはいけない目標があるのです。
★教会が正しい目標を失ってしまうならば、消滅以外ありません。それでは教会は、何を目標としなければならないのでしょうか。それは、イエス様の救いを知らずにサタンの支配の中にいる人々を救い出すことです。福音伝道の戦いをするのです。教会も信徒も、その存在目的は礼拝と伝道です。パウロは、このように目標を分散してしまったコリント教会に対して、福音宣教の集中を促しているのです。私達日本の教会にいま最も必要なものは、福音宣教への集中です。スポーツ選手がそうであるように、自分を打ちたたいて目標に集中する者が、勝利者に与えられる大きな喜びを得ることが出来るのです。私達も、福音宣教に集中しましょう。