2015年4月19日 マタイNO127)鶏が鳴いた時マタイ26章69~75節 仁井田義政 牧師

イエス様は、大祭司カヤパの庭で出来る限りの侮辱にさらされました。嘲笑う人々の中で、唾を掛けられ、拳や平手で打たれたのです。弟子達は皆逃げてしまいました。しかしペテロはひそかにイエス様の後を追い、大祭司カヤパの庭に紛れ込んでいました。さすがにイエス様から一番弟子として扱われたペテロは、イエス様の後を追ったのです。イエス様の御受難と十字架の周りには、人間の醜さや弱さが渦巻いています。

★なぜ大祭司達は、これほどイエス様を迫害し、正しい裁判もせず急いで殺そうとしたのでしょうか。大祭司は、イスラエルの宗教界の最高指導者でした。正しく生きることを教える人達のトップだったのです。それなのに彼は、不正な裁判でイエス様の処刑を即決したのです。それは27章18節に記されているように、「ねたみ」が要因のひとつでした。自分の尊敬をイエス様に奪われると思ったのです。そこには人間の醜さと弱さが見えます。自分の立場や人気を守るために、ねたみで罪なき方を殺害することを決めたのです。

★弟子のペテロは、いつもイエス様のそばにいた弟子でした。イエス様への信仰においては、誰にも負けないとの自負がありました。「たとえ弟子のみんながイエス様を知らないと言ったとしても、私は決して知らないなどと言いません。もし死ななければならないならば一緒に死にます」と言いました。あっぱれな決意です。しかし彼は、大祭司カヤパの庭でイエス様が侮辱され、いたぶられるのを見た時、恐怖がわいてきたのでしよう。イエス様を三度も「知らない」と言ってしまったのです。しかしイエス様は、ペテロのその弱さを既に知っておられました。(ルカ22:31~34)

★ ペテロは外に出て激しく泣きました。その涙は、イエス様を裏切ってしまったという理由だけのものではありません。そのような弱い自分を知っておられながら「同じような弱い人を助けてあげなさい」と言われたイエス様の愛を感じて泣いたのです。人間は、強さの中では本当のイエス様の愛を知ることができません。弱さの中でこそ、イエス様との本当の出会いが出来るのです。あなたは弱さを感じた時がありましたか。あなたの人生の夜に、あなたの弱さを告げる鶏が鳴いた時がありましたか。その時イエス様はあなたの方を振り向いて、全神経を集中して見ておられました。自分よりもあなたを愛して、愛の眼差しで見ておられました。

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