第二コリントNO14 「霊肉ともに聖く」6章11節~7章1節 仁井田義政 牧師
コリント教会のある者達は、パウロを誤解していました。愛情を込めて話し、愛情をもって手紙を書いても、ある人々にとってパウロは単にうるさい人に過ぎなかったのです。パウロは愛情をもって話しました。ですから聞く者達も心を開いて聞くべきなのです。
★パウロは「釣り合わないくびきを共にしてはならない。」と教えました。これは、未信者と結婚することの注意と考えられてきました。それも含まれるでしょう。しかしそれだけではありません。これは、信徒達が置かれていたコリントの町の異教的習慣への注意なのです。それは「神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう」との文によって明らかです。
★神様の恵みに満ちた約束は「彼らの間に住み、歩む。彼らの神となり、彼らは私の民となる」との約束であり、「私はあなたがたの父となり、あなたがたは私の息子、娘となる」との恵み溢れた約束でした。その条件は、異教文化からの(特にコリントの宗教は不品行、ポルネイアーと結びついていました)脱出と分離でした。イスラエルの歴史には、10部族喪失の歴史があります。西暦前587年頃、バビロンのネブカデネザル王はイスラエルを滅ぼしました。それから約70年後に、ペルシャ王クロスがバビロニアを滅ぼしイスラエルを解放しました。しかし帰ったのは、ユダ族とベニヤミン族だけでした。その他の10部族がバビロニアに残ったのです。その後この10部族は歴史から消え去ってしまいました。
★パウロは、「霊肉の汚れから自分をきよめ、聖さを全うしよう。」と7章1節で教えています。霊「プニューマ」の汚れは、信仰の汚れです。真の神様を信じている、愛していると言いながら他の神々も礼拝しているならば、霊的に汚れた生き方をしているのです。そのような人に神様は共にいて下さいません。また肉は「サルコス」欲望です。物質欲、性的な欲、名誉欲等々です。この欲望に従って生きる人とは、神様は共にいて下さいません。自らを聖くするならば、「全能の主」が私達と一緒にいて下さるのです。神様の教えにはひとつの間違いもありません。御言に従って、霊肉を共に聖くしようではありませんか。