第一コリントNO44「どのようにして人は復活するのか」15章35~49節 仁井田義政 牧師
パウロはすでに多くの文字数を用いて復活を論証してきました。しかしそれだけでは、コリントの復活否定者たちは納得しないだろうと考えました。そこで彼等が復活についてこのように質問をするだろうと想定して、今日の御言を記しました。
★それはまた、現代人も同じように質問をするだろうと思われます。現代のクリスチャンの中にも、「死者がどのような体で甦るのか」を明確に知らない人がいます。土葬ならまだしも、現代の火葬ではその体の材料が無くなってしまいます。パウロは、そのような質問者を「愚かな人だ」と手厳しい語調で記しています。その愚さは、知性の欠落のことではありません。神様の力を知らないゆえの愚かさなのです。
★パウロは、自然界に見ることの出来る類似性を例にして論証し始めました。一粒の種が地にまかれると、その種は死ぬけれど、もっと豊かな何十倍もの命で甦ります。肉も人間の肉だけでなく、獣の肉、鳥の肉、魚の肉があります。それと同じく、天上の体と地上の体には違いがあるのです。星もみな同じではありません。太陽の栄光も月の栄光も、他の星の栄光もそれぞれに違うのだとパウロは言いました。それと同じくクリスチャンが死んだ後に甦ると言っても、全く同じ物質で出来た体で甦るのではありません。
★私達クリスチャンが、死んだ後に甦って天国に入ることが出来るというのは、単に霊的に甦ってというのとは違います。体も甦るのです。しかし体の甦りと言っても、この地上の物質から出来た体とも違うのです。それを混同すると、火葬で燃え尽きてしまった体の物質がどのようにして元通りになるのか等と言う疑問に悩まされるのです。パウロは「死者はどのよう復活するのか」との問いに答えています。私達の体が土葬で腐敗して消えてしまおうと、焼かれた骨が風化して無くなってしまおうと、心配はいらないのです。地上に生きていた時よりも、完全な素晴らしい霊的な体に甦らされるのです。私達はみな霊的真理に目を開き、キリストを信じる者に与えられる復活の希望に心を躍らせましょう。