40周年記念礼拝「宝が土の器の中にある」8月21日

創立40周年記念礼拝「宝が土の器の中にある」第二コリント4章7節 仁井田義政 牧師

P1030379 溝の口キリスト教会は1975年4月に産声を上げました。それから40年、双葉のか弱い芽から、40年間の年輪を刻み、現在の教会へと成長できました。そして今日の午後は感謝会が行なわれます。今日の創立40周年記念礼拝にふさわしい御言をと祈っていましたところ、第二コリント4章7節を与えられましたので、そこから祝福のメッセージをお話しいたします。

★まず、パウロは「私達は土の器」だと言っています。そう言うには訳がありました。コリント教会のある者は、パウロを伝道者にふさわしくないと批判していたからです。私達は、相応しいから伝道者や牧師や信徒に選ばれたのではありません。パウロがはっきりと第二コリント4章1節で言っているように「神のあわれみによって任じられた」のです。

★パウロは「私達は土の器なのです」と、信徒達をその考えに引き込んでいます。しかしパウロは、以前から自分が不完全な土の器だとは考えてはいませんでした。彼は「私は、律法による義ならば落ち度がない者」(ピリピ4~6節)と言っています。しかしそれらは役に立たないと記しているのです。そしてパウロが到達したのは、「私達は土の器である」との自己理解に達していたのです。「土の器である」ことに自分のアイデンテティを見つけたのです。

★土の器は、貧しい者の器のことです。土の器は、自分を誇ることができないのです。しかしその貧しい土の器の中に、神様は宝を入れて下さったのです。土の器は自分を誇ることは決して出来ませんが、その中に入れられた宝を誇ることは出来ます。どんなに宝を誇っても、誇り過ぎることはありません。自分を誇ることではないからです。

★溝の口キリスト教会は、牧師をはじめ皆、土の器です。パウロでさえも「私達はこの宝を土の器に入れているのです。」と言っているのですから、異論はないと思います。でもその不完全な土の器だからこそ、素晴らしいのです。私達の教会から発せられる全ての良きものは、私達から出たものではなく、私達の内におられる素晴らしい神様から出ていることが明らかになるからです。土の器の集まり、溝の口キリスト教会、万歳!!

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