5月19日 礼拝メッセージ「メサイア、そのしるし」

(礼拝メッセージ)マタイNO48「メサイア、そのしるし」9章27~34節 仁井田義政 牧師

マタイは、イエス様による数々の奇跡を8章から始めて9章の終りまで記しました。そしてイエス様による奇跡の記録をひとまず終えようとしています。マタイは、なぜ最後にこの二つの癒しの奇跡をここに持って来たのでしようか。霊的な必然性があったからです。それはイエス様のメサイアとしてのしるしです。

★「救い主はダビデの子孫として生まれる」との旧約時代からの預言がありました。イエス様はまさにその御方でした。しかしパリサイ派は「イエスは救い主、メシヤではない」(34節)と言いました。そのような人々の中で二人の盲人は「ダビデの子よ」と叫ぶのです。

★しかしイエス様は「ダビデの子よ」と叫ぶ盲人の声を聞きながら、家に着くまで相手にされませんでした。盲人にとって辛いことは、道を歩かせられることだったでしょう。それにもかかわらずそうしたのです。それは、盲人達がイエス様をどれほど真剣にメシアだと信じているかを見る為でした。盲人達はあきらめずに家まで着いてきました。家に入るとイエス様は、盲人達に「私に目を開けることが出来ると信じるか」と聞かれました。盲人達は「そうです」と告白しました。するとイエス様は「信じた通りになりなさい」と目を開けて下さいました。

★またその家に、悪霊によって耳が聞こえなくなったと言われている人が連れて来られました。その人もイエス様によって癒されました。すると群衆は「イスラエルでいまだかつて見たことがない」と言いました。その言葉が重要なのです。つまりこの様なことが出来るのはメシヤ以外いないという意味なのです。旧約聖書には、メシヤはそのような御業をすると預言されていました。

★しかし旧約に記されているメシヤのしるしが示されたのに、パリサイ人は、イエスは悪霊の力で追い出したのだと言いました。信じないとはそういうことなのです。「病気が癒された」と言えば、「そんな馬鹿なことがあるか」と言い、「癒されなかった」と言うと「神の子なのに出来ないのか」と言うのです。どちらもイエス様を信じない口実になるのです。しかし信じる者には、今日の聖書に出ている人々のように、その人生が変わるのです。メシヤのしるしは現わされました。イエス様は「あなたの信じたようになりなさい」と言われます。あなたも、謙遜な心をもってイエス様を信じる人になりましよう。

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