5月25日礼拝メッセージ「赦しの源泉」

(マタイNO90)赦しの源泉マタイ18章21~35節   仁井田義政 牧師

今日の御言葉は「誰かが罪を犯した場合、何度まで許せば良いですか」という弟子のイエス様への質問で始まっています。その内容は、日曜学校の生徒にも充分わかりやすい話です。しかし自分のこととして聞くと、非常に難しい所でもあります。内容は分かりやすいが、実行が難しいのです。しかしイエス様は、人間にとって極めて難しいことにも絶望しておられません。イエス様は許しとしての実行の源泉を教えて下さっています。

★罪は、本人の悔い改めと、その被害者の許しによって解決するのですが、それは難しいことです。ですからその様な時には、教会の祈りが大切で「二人三人集まる所には私もまたいるのです。」と、教会には祈りを聞いてくださる主が共にいて下さると約束してくださっているのです。ペテロはそのイエス様の話を聞いていて、最大の寛大さを現そうとして「7度まで許すべきですか」と言いました。ペテロの質問に対して、イエス様は「7の70倍=490回としなさい」と言われました。それは無限にと言う程の意味です。

★当時の祭司達の教えは「3回までは許しなさい」と言うものでした。だからペテロは、自分の寛大さをイエス様に現そうとして「7度までですか。」と言ったのです。しかしイエス様はペテロの最大の寛大さを遥かに超えて「7の70倍までしなさい」と言われたのです。それを聞いたペテロは「とてもじゃないけど実行不可能」と考えたはずです。ペテロだけでなく私達も同じ気持ちでしょう。人間の本性にとっては「多くの許し」より、レメク「多くの復讐」の歌(創世記4章23~24節)の方が納得するのです。

★ペテロは壁にぶつかりました。イエス様は、その壁を突き破る実践の方法を例話を用いて教えられました。それは「主人から一万タラントの借金を許してもらった人が、友人の百デナリの借金を許さなかった」というものです。クリスチャンはイエス様から多くの罪を赦して頂いたのに、隣人の罪を許さないようなことがあってはならないと言う教えです。

★イエス様の今日の教えは、ひとごとならば良く分かるし理解できるのですが、いざ自分のこととなると極めて難しいのです。その難しい壁を突き破るために、イエス様が私達にして下さった多くの罪の赦しに目を向けましょう。そして私達も人の罪を赦し、人間関係を恵み溢れたものとしましょう。

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