母の日礼拝「母の教えは花の首飾り」箴言1章7~9節 仁井田義政 牧師
今日は母の日です。聞くところによりますと、母の日をお祝いする幼稚園や学校、また教会までも母の日の行事を行なわないところが出て来ているそうです。その理由は、現代はいろいろな事情で母親のいない子が「お母さん有難う」のプレゼントをあげることが出来ないで、さびしい思いをするからだそうです。教会から始まった母の日を、教会までもが辞めてしまうのは寂しい限りです。世相とは言えデパートだけが「売らんかな」で、母の日のイベントを盛大に行ない続ける文化には納得がいきません。溝の口教会は、母の日にはのぼりを立てて、お母さん達がこそばゆいくらいに盛大にやりたいと思います。
★上記のようなことは、母の日の目的を忘れているからそうなるのです。アメリカで始まった最初の母の日は、母親は既に召されてこの世にはいませんでした。ですからその日は母親に感謝するだけの日ではなく、母親を与えて下さった神様に感謝する日なのです。
★今日の聖書の「箴言」の意味は「鍼のような言」を意味します。鍼灸の鍼は、今は針が金属ですから金片ですが、昔は竹でしたから、竹冠なのです。日本語の表題は漢文訳聖書から。漢方医が用いる鍼のように、人を活かす言葉という意味なのです。しかしヘブル語「マーシャール」とは「類似」「比較」という意味です。
★主を恐れることは、全ての知識のはじまり。神様を敬うこと無くして知識を増しても愚かな結果に。今日の御言で、父親は「訓戒を与える」(ムーサール)と記されています。それは厳しい訓練活動を現わす言葉と言われています。それに対して、母親は「教える」(トーラー)と記されています。それは言葉による教育を現わす言葉です。子供の人格が健康に成長するには、父親の厳しさと、母親の優しさが必要なのです。
★父と母の「訓戒と教え」は、男の子にとっては一生の冠となり、女の子には首飾りとなるのです。親はそのように、子供達に対して重要な役割を担っています。鍼のように時には痛いですが、それが私達の人生を整え健康にします。人は歳をとればとるほど、母親の愛を強く感じるもののようです。母の教えは花の冠、花の首飾りです。今日は、心から母親を与えて下さった神様に感謝し、また母親に感謝する日と致しましょう。