(礼拝メッセージ)マタイNO81「主の苦難と我らの戸惑い」マタイ16章21~23節
仁井田義政 牧師
先週の礼拝でお話ししました弟子のペテロの信仰告白を聞いて、イエス様の教えは、決定的な局面へと突入しました。それは、ご自身の受難について弟子達に話し始められたのです。すると弟子達に戸惑いが起こりました。そこには、イエス様の受難に対する私たち人間の戸惑いがあるのです。
★父なる神とイエス様の偉大な計画は、完全にひとつでした。それは人類を救う方法のことでした。その計画とは、イエス様が神の都エルサレムに行かれ、長老、祭司長、律法学者達に苦しめられ十字架に付けられるのです。 しかも多くの苦しみを受け、殺されることでした。
★父なる神とイエス様の計画は、弟子達の思考枠をはるかに超えたものでした。そして私たち現代人の思考枠をもはるかに超えているのです。イエス様と三年も一緒に暮らしてきた弟子達さえも理解出来ない真理ですから、当然のことです。それに納得できない弟子のペテロは、イエス様を「引き寄せいさめ始めた」と記されています。「いさめるとは」目上の人に考えを改めさせる時に使われる言葉です。弟子達の思考の範疇では、キリストはエルサレムで王となり、長老、祭司長、律法学者達が喜んで礼拝しお仕えする。それが弟子達の考える当然なキリストの姿でした。ですからイエス様から受難の話を聞くと「そんなことはあってはなりません。たとえそのような事があっても、私達は命をかけてあなたを守ります。ですから『多くの苦しみを受け殺される』等と言わないでください」と言ったのです。
★イエス様はペテロのその言葉に喜ぶどころか、今までに聞いたこともないような激しい怒りの言葉でペテロを叱りつけました。「下がれ、サタン。あなたは私の邪魔をする者だ」と言われました。イエス様の苦難と十字架は、人間の考えの及ばない神の計画であり、完全なものだったのです。イエス様は弟子達に、これから起こるキリストの苦難と十字架の意味、そして復活の意味を知って欲しかったのです。しかし弟子達にはそれが理解できなかったのです。今もイエス様の苦難と十字架の意味を多くの人々は理解できず、理解しようとも思わないで生きています。イエス様は、私達を救うために苦難と十字架の道を歩かれたのです。私達は人知をはるかに超えたイエス様の苦難と十字架の救いを信じ、イエス様を礼拝しましょう