(礼拝メッセージ)マタイNO.103単純明快に生きる21章28~32節 仁井田義政 牧師

 今日の御言は、説明が無くても読めば良く分かる内容です。イエス様はご自分の死を前にした大切な日に、なぜこのような単純明解な話を話されたのでしょうか。まさにこの単純明快さが怖いのです。このことは、先週話しました「祭司長や民の長老達」の質問に続いています。問いかけられたのは、祭司長や民の長老達なのです。イエス様はわざと単純明快な話をされたのです。

★イエス様は、二人の息子を持つ父親の譬を祭司長や民の長老達に話されました。父親は息子達に「今日ぶどう園に行って働いてくれ」と頼みました。お兄さんはお父さんの頼みに「はい」と言い、弟は「いやです」と言いました。しかし良い返事をした兄は仕事に行かず、弟の方は思い直してぶどう園仕事に行ったのです。父の言葉に「はい」と言った兄の答えは模範的な応答です。アーメンと同じです。しかし弟は「いやです」と言ったのに、心を変えて行ったのです。イエス様は、この譬話をされた後、「この二人のうち、どちらが父の思った通りに行ったでしょう」と言われました。当然祭司長や民の長老達は「弟の方です」と答えました。するとイエス様は「兄はあなたがたで、弟は取税人や売春婦です」と言われました。

★イエス様はその証拠を突き付けました。祭司長や長老達はいつも「神様に従うことが大切なのです」と人々に教えていながら、バプテスマのヨハネが神様に立ち返る道を伝えると、あなたがたは従わなかった。しかし取税人や売春婦達は「神様に従うことは無理です。いやです」と言っていたのに、心を入れ替えて従った。つまり神様に従ったのはあなたがたではなく、取税人や罪人達なのですとイエス様は言われたのです。祭司長や長老達は怒りに満ちました。

★私達クリスチャンも、礼拝に集い御言を聞きアーメンと言っています。イエス様は、いつも神殿で神様を礼拝し立派な信仰者を自負している祭司長や民の長老達にこの譬を話されたのです。それは礼拝に集っている私達クリスチャンにも語りかけられているのです。いま立ち止まって、クリスチャンとして生きてきた歩みを顧み心の中を探り、神様の御心通りに生きているかどうかを考えてみましょう。そして自分の不従順な面を示されるならば、悔い改めの祈りをしましょう。遅くはありません。イエス様は、私達が悔い改めて従うことを待っておられます。単純明快に生きるのです。

 

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