第一コリントNO28 「試練を乗り越える方法」10章7~13節 仁井田義政 牧師
受難週と復活祭によって、二週間ほどコリントの連続メッセージから離れましたが、今日から、また戻ります。
★私達の人生は、困難や試練に囲まれています。イエス様は最後の晩餐の席でも「あなたがたは世にあっては患難があります」(ヨハネ16:33)と言われました。それはモーセに率いられたイスラエルの民が、荒野を四十年間旅した時と同じです。ですからパウロは荒野の歴史を引用しつつ話すのです。
★イスラエルの民が荒野で困難や試練に遭った時、その苦しみや試練から逃れるために、信仰によって乗り切るのではなく、様々な罪を犯して逃れようとしました。金の子牛を作って偶像礼拝をしました。イスラエルの男性達がモアブの娘達と姦淫し、そのあげくモアブの神々を礼拝しました。その結果、神様の裁きを受け二万三千人が死にました。またある時は、主を試みる罪を犯し、多くの者が荒野でヘビにかまれて死にました。またつぶやきの罪も犯しました。それは不平不満です。イスラエルの歴史の中で、不平不満が一番多かったのではないでしょうか。そのような罪の結果、出エジプトをする時に二十歳以上だった者は、全て荒野で滅んだのです。例外はヨシュアとカレブの二人だけでした。
★それでは、苦しみや試練を乗り越える方法はあるのでしょうか。それは、偉大な神様が全てを支配しておられるという信仰に徹することです。試練はテストです。神様は、私達を滅ぼす為に試練に会わされることは決してありません。本物かどうかテストしておられるのです。アブラハムの試練(創世記22章)を思い出してみましよう。アブラハムは、神様から「ひとり子のイサクを捧げよ」と言われました。アブラハムがそうしようとした時「あなたの信仰は今わかった。イサクを殺すな」と神様の声が聞こえたのです。見ると木の枝に角を引っ掛けた雄羊がいました。神様が備えられた犠牲の動物でした。
★今日の御言には「神は真実な方ですから、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。試練と共に脱出の道も備えて下さいます」と記されています。どんな試練にも脱出の道があるのです。不信仰になってはいけません。神様の御言を信じて祈り、信仰に立って試練を乗り越えましょう。