礼拝メッセージ(マタイ60)「彼は争わず、叫ばず」マタイ12章15~21節 仁井田義政牧師
安息日に手のなえた人を癒したということで、イエス様はパリサイ人達に命を狙われることになりました。するとイエス様はそこを去られました。イエス様のこの行動こそ、今日の御言葉が示すイエス様の偉大さです。
★イエス様は律法違反者、神への冒涜者の烙印を押されたまま、そこを去られました。イエス様は、生れながら手の萎えた人を癒されただけではなく、多くの人を癒す力がありました。その証拠に多くの病気の人が着いてくると「彼らをみな癒した」と記されています。それならばなぜ、多くの人の癒しを会堂で行なって見せ、ご自分の力を誇示し、会衆を支持者にしてパリサイ派の人々を黙らせなかったのでしょうか。
★イエス様は会堂を出てから癒してあげた多くの人々に「この事を言うな」と戒められました。それは預言者イザヤを通して、父なる神が示してくださった真の救い主の姿であったのです。預言者イザヤは「彼は争うこともなく、叫ぶこともせず」と預言しています。つまり暴力を用いて自分の思想を広めることはなさらないと言うことです。
★さらにイザヤは「彼は傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」と預言しています。それは折れかかっている「葦」だからと言って引きちぎらず、むしろ添え木をして生かすということです。また「消えかかっている燈心」だからと言って消し去らず、油をさして燃え立たせるという意味です。信仰の弱い人間を「駄目な奴だ」と見限らず、優しく世話をし、助けて生かそうとする、それがイエス様なのです。
★「争うこともなく、叫ぶこともせず」つまり争わず、怒鳴らず、つまり暴力など使わず、むしろ弱い者に優しく接する御方、それが救い主の証拠だというのです。そして「異邦人は彼の名に望みを置く」と記されています。このイエス様の優しさは、いつまでも継続されるというのです。
★ですから異邦人まで、イエス様の名に希望を置くようになるのです。どの時代も、権力者は諸国を支配下に置くために軍馬にまたがり、軍事力という暴力によって入ってきました。バビロンもペルシャもギリシャも、そしてローマも暴力によって国々を支配してきたのです。しかしイエス様は違いました。「傷んだ葦を折ることなく、くすぶる燈心を消すことなく」愛によって支配を開始されたのです。ですから「異邦人は彼の名に望みをかける」のです。あなたもイエス様の愛を信じ、救いにあずかりましょう。