(5月24日礼拝)「神様からさえも捨てられた御方」

(マタイNO132)「神様からさえも捨てられた御方」マタイ27章45~56節

                                                   仁井田義政牧師

イエス様は午前9時に十字架につけられましたから、すでに3時間経っているわけです。そこには人間的な常識では説明や理解が不可能な事実が記されています。神の子が神から捨てられたという事実です。イエス様はどうして神様から捨てられなければならなかったのでしょうか。なぜ神様はイエス様を捨てなければならなかったのでしょうか。

★イエス様が十字架につかれた午前中の3時間は、肌を刺すような真昼の太陽が照っていたはずです。それなのに午後は太陽が黒雲に包まれ夜のようになりました。イエス様がこの地上に誕生された時は、大きな星が輝き暗闇が真昼のように明るくなりました。逆に今日は、真昼なのに暗闇が包んでしまいました。それは希望と絶望を表わすと同時に、神の御子の死が神の創造物である自然までもが悲しむ事態であることの表われでした。

★イエス様の十字架は、午後3時まで続きました。午後3時は、過ぎ越しの祭りで子羊が殺される時間でした。イエス様はその時に、大きな声で「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになられるのですか」と叫ばれました。さらに、また大きな声で「全てが終わった」と叫ばれました。その意味は「全てが完成した」という勝利の声でした。ふつう死に逝く者の声は、だんだん弱くなり最期を迎えるはずですが、イエス様は違いました。その時の為に力を保持しておられ、午後3時に爆発させたのです。

★十字架上のイエス様の最後の言葉は、ルカ23章46節に「イエスは大声で叫んで、言われた。『父よ、わが霊を御手にゆだねます。』こう言って、息を引き取られた。」と記されています。ここでの「息を引き取られた」は、日本の文化的訳文なのです。原語は「霊を送り出した」なのです。イエス様は大きな声を発しつつ、父なる神に「霊を送り出された」のです。

★イエス様は人からだけではなく、神様からも捨てられました。それは私たち人間の罪を背負って神様の前に立って下さったからです。その罪を背負ったイエス様に対して、父なる神様の裁きは少しの容赦もありませんでした。それなのにイエス様は「父よ、わが霊を御手にゆだねます」と、大声で力強く叫んで、父なる神に「霊を送り出された」のです。イエス様の十字架は、私達の罪の身代わりだったのです。イエス様の十字架を見上げて救われましょう。

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