(メッセージ)マタイNO119「十字架につけられるために」マタイ26章1~5節 仁井田義政 牧師
イエス様の十字架の時まであと二日に迫っていました。聖書は、イエス様の次の段階を書き始めます。それは十字架の事実と、復活の事実についてです。
★イエス様は、ご自分の殺される日をすでに明確に知っておられました。しかもあと二日後なのです。その日は、過越しの祭りの日でした。過ぎ越しの祭りは、出エジプト記にその起源が記されています。神様の裁きがエジプト全土を襲う時、子羊を犠牲にしその血を門に塗った家は、神様の裁きが過ぎ越していったのです。
★今日の聖書にある「引き渡されます」という文は、「裏切られて」とも訳される言葉です。弟子のイスカリオテのユダやその他の弟子、民衆に裏切られてイエス様は死に渡されるのです。
★ついに大祭司カヤパの庭で、イエス様の殺害計画が話し合われました。しかし、祭司達は「イエスの殺害日は祭りの間は良くない」と言うことになりました。それは民衆が暴徒となるかも知れないからです。人間側の計画は「祭りが終わって、人々がエルサレムからいなくなったら、イエスを騙し、ひっそりと捕らえ殺そう」と結論しました。しかし26章1~2節を見ればわかるように「人間の計画に先んじての神様の計画」があったのです。
★祭司達の「祭りが終わってから殺そう」との計画を変更させたのは、ユダの裏切りでした。十二弟子の中から裏切り者が出たとなれば、民衆を充分に納得させられると思ったのでしょう。十二弟子のユダが裏切ることは、弟子そのものが「イエスはメシヤではない」と確信していることになるからです。ユダの裏切りによって、他の弟子達もイエス様を裏切るのです。
★イエス様は、祭司達の計画よりもユダの裏切りの計画よりも早く、二日後の十字架刑を知っておられました。人間の思惑がどうあろうとも、神様の計画が進められるのです。紀元前1300年頃のあのエジプトでの子羊の犠牲から、イエス様がその子羊の犠牲となることが決まっていたのです。それに対し、何と祭司達や、ユダをはじめとした弟子達の裏切りは姑息でしょうか。そのような人間の罪と不信仰の中でも、イエス様の十字架の計画だけは揺るぎなく立ち続けるのです。
★不信仰は、人間の弱さの象徴です。イエス様にならい、私達も微動だにしない信仰を持とうではありませんか。