(9月13日礼拝メッセージ)「神からの称賛」

(第一コリントNO11)「神からの称賛」第一コリント4章1~5節 仁井田義政 牧師

 パウロは3章までにおいて、コリント教会に起きていた分裂問題について記して来ました。それは、コリント教会のクリスチャンであるギリシャ人特有の人間崇拝に至る危険をはらんでいたからです。キリストの教会が求めるものは、人間崇拝ではありません。讃えられるべき御方は、神様なのです。パウロは、コリント教会を人間崇拝の危険から守ろうとしたのです。

★パウロは「こういうわけで私達をキリストのしもべだと考えなさい」と、4章を書き始めました。私達とは、パウロ・アポロ・ペテロという使徒達のことです。「しもべ」と使われた語は「大きな船の三層の最下位層の漕ぎ手を意味する」言葉です。神のしもべとして過酷な状況で教会という大型船を漕いでいる様を表わしています。さらに「また神の奥義の管理者だと考えなさい」と言っています。神の奥義は、聖霊によらなければ人間には理解できません。ですから神の奥義の管理者である使徒達は、祈りつつ教会を前進させている者達なのです。そして「管理者には、忠実であることが求められます。」と言っています。

★コリント教会のある人達は、パウロを指導者にふさわしくないと裁いていました。(Ⅱコリ10:10)しかしパウロは、使徒に召された者は、人々の評価を超えて働く者であると言っています。つまり使徒達を判定し裁くのは、主なる神のみなのです。パウロはさらに「自分で自分を裁くことさえしない」と言うのです。それはパウロが傲慢なのでしょうか。そうではありません。パウロは「私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって無罪とされるのではありません」と記しています。人間はそれほどに不完全な者だから、先走った判断をしてはならないわけです。パウロは自分の支持者を増やそうとしているのではありません。使徒たる者は「人からの称賛を求めているのではなく、神から称賛を受けられるように生きている」ことが大切なのだと言うのです。

★今日の聖書の箇所は、使徒、牧師、伝道者達の働きの気高さを現している所です。しかし主に仕えるクリスチャン全員が、このような気高い心を持たなければなりません。人から悪く言われてへこむような場所に、自分を置いてはならないのです。人からの称賛ではなく、「神からの称賛」を求めて生きるクリスチャンになりましょう。

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