(第一コリントNO17)「あなたがたは洗われた」第一コリント6章1~11節 仁井田義政 牧師
パウロのこの手紙はコリントと言う巨大な文化圏へのチャレンジでした。そうすることによって、教会の進むべき道を鮮明に現わしました。
★ギリシャ人達は、議論好きであると共に訴訟好きでした。何でも裁判を起こして白黒を付けなければ気が済まないのです。些細な事でも、教会員同士で一般的な裁判所に訴え合う始末でした。パウロは「教会員同士の問題は、教会内で解決せよ」と手紙に記しました。しかしパウロは全ての裁判が必要ないと言っているのではありません。使徒の働きの中で「皇帝に上訴」し、ローマでの裁判を求めています。
★パウロは「小さな事で直ぐに兄弟を訴えたりしないで、忍耐しなさい。それはやられたらやり返すのではなく、出来る限り忍耐し、少しばかりの損であれば甘んじて受け入れなさい」と教えています。教会の中では問題を縮小しなければならないのに、困ったことに積極的に不正を行ない、教会仲間から騙し取り、裁判になることまで起きていたのです。
★それだけではありません。堕落したコリント文化が、教会の中にまで入ってきていました。町の女神アフロディテ神殿がもたらした欲望むき出しの堕落でした。その中に神殿娼婦だけではなく神殿男娼もおり、泥酔してそれらに浸っていたのです。
★キリスト教会は、パウロによって堕落の巣窟のようなコリントの町に誕生しました。ある者たちは、そのような堕落した文化に染まった生き方をしていました。そのような中で福音に触れ、クリスチャンになりました。「キリストと神と御霊の洗い」つまり洗礼によって、それまでの罪汚れが清められたのです。しかし元の汚れた習慣に戻ってしまう者や、その文化を持ったままクリスチャンになる者が出てきていたのです。
★そのような堕落しきった社会の中に、教会の清い文化が植え付けられたのです。しかし汚れによって教会は「敗北」(7節)寸前となっていました。そこでパウロは「洗礼を受けた時の清い生活に帰りなさい」と強く勧めているのです。私達も、周りがみんなそうしているからと安易に妥協していないでしょうか。洗礼によって清くされた生活を続けようではありませんか。