第二コリントNO8「光が闇の中から」4章1~6節 仁井田義政 牧師
パウロは、コリント教会の内部から激しい攻撃を受けました。それにもかかわらず、失望落胆することなく、コリント教会を正しい信仰へと立て直そうとして関わりを持ち続けました。パウロは、誰の為に福音宣教をしているのかをはっきりとさせています。それはまた私達クリスチャンが、誰の為に生きるのかと言うことを教えています。
★パウロは、混乱するコリント教会に何度も手紙も書きました。また直接訪問して、混乱を鎮めようとしました。しかしその努力の甲斐もなく、ある人々は信仰の道を踏み外し、パウロを非難し続けている状況でした。そのような中でもパウロは、なぜ勇気を失わないのでしょうか。それは、「主の憐れみにより使徒とされた」という恵みの自己認識があったからです。だからどんなことがあっても、落胆しないで主の教会のために働いたのです。
★パウロの伝道者としての姿勢は、「恥ずべき隠されたことを捨て、悪巧みに歩まず」と記されているところにあります。それは、金持ちになりたいとか有名になりたいとかとの人間的な欲望のことであるかも知れません。人々に「あの人は良い人だ」と思わせるのは詐欺師の上等手段です。しかしパウロは「恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。」と記しています。パウロはいつも「神の御前で」生きていたのです。
★このようにパウロが真心込めて伝道しているのに、信じない者達や反対者までいました。パウロがこのような希望が見えないコリント教会になぜ関わりを持ち続けるのでしょうか。それは6節の「光が闇の中から輝き出よ。と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」という御言に現されています。闇は絶望を表わし、光は希望を表わします。そしてイエス様が光なのです。
★パウロの置かれた立場は、闇と言う言葉があるように最悪の状況でした。それは全く希望が見えない状況でした。私達にも、そのような希望が持てない状況の中を通されることがあるでしょう。そのような時には、パウロと同じように「イエス様は、どんな闇をも照らすことができる」と信じましょう。そしてどんなことにも勇気を失うことなく、福音の為に働きましょう。