礼拝メッセージ(マタイNO71)「故郷での孤独者イエス」マタイ13章53~58節 仁井田義政牧師
イエス様はガリラヤ湖のほとりの町を去り、故郷ナザレの村へと向かわれました。しかしそこでイエス様は、更なる孤独を体験されるのです。
★イエス様は、ガリラヤ地方で伝道し数々の奇跡も行なわれました。しかし皆がイエス様を信じたかと言うと、そうではありませんでした。イエス様の奇跡を見てさえも、それは悪霊の力で行なっているのだと言う人もいたのです。イエス様は、伝道の結果を種まきや毒麦の譬で話されました。毒麦の譬は、イエス様の伝道が邪魔されたことかもしれません。しかしイエス様を信じた人々には、イエス様の救いは畑の中の宝・最高の真珠のようになったのです。ガリラヤ伝道に一応区切りをつけて、イエス様はそこを去って故郷ナザレへと向かわれました。
★村人たちは、誰もがイエス様とその家族のことを知っていました。イエス様は教師になるためのラビの学校に行ったわけでもなく、学位があるわけでもないことも知っていました。母親のマリヤもイエスの兄弟たちも、この村で生活をしているのです。しかし一年程前に村を出て行ったイエスが帰ってきて会堂で教えると、その知恵に驚きました。いつどこで学んだのかと躓いたのです。悪霊の知恵だろうと思っていた人々もいたはずです。かつて、そのようなうわさが村に広がったこともありました。
★イエス様は故郷の人々を愛していました。だからこそ故郷伝道のために帰ってきたのです。そして会堂で教えました。会堂は村の宗教施設であり、少なくとも神様を信じる人々の集まる所です。「知恵がない」と言って躓くならまだしも、「この知恵はどこから学んだのか」と躓いたのです。イエス様が自分達と同じであれば安心でした。しかし自分達を超えて知恵があることに、不安を感じたのです。それは、自分達が変らなければならないことになるからです。当時「預言者は郷里では敬われない」との格言がありました。
★ナザレの村の人々は、イエス様を拒否しました。その結果イエス様は「ほんの僅かな奇跡しか行なわれなかった。」と聖書は記しています。イエス様は、ご自分の村で強い孤独を覚えられました。ヨハネの福音書1章11節には「この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」と、そこにもイエス様の孤独が記されています。
私たちはイエス様を心からお迎えし、イエス様を歓迎するクリスチャンとなりましょう。