11月13日礼拝メッセージ「御霊による自由」

第二コリントNO7御霊による自由3章12~18節  仁井田義政 牧師

p1030605  今日の御言でパウロは「このような望みを持っているので、私達は極めて大胆にふるまいます。」と言っています。その大胆さとは何でしょうか。それは「御霊による自由」です。

★パウロは律法信奉者を「彼らの心にはいつも覆いがかかっている」と言いました。それは出エジプト記34章に出てくる「神と話した後、モーセは輝く顔を人々の前で覆い隠した」という旧約聖書の記事に拠っています。パウロは、モーセの時代から律法に拘泥しているユダヤ人には覆いがかかっているというのです。その覆いは、キリストのみが取り除くことができるのです。

★それでは「覆いを取り除いて下さる」のでしょうか。それは、律法至上主義の為に神様の御心と真理が見えなくなっている状態からの解放のことです。同じ14節の前半に「鈍く」と言う言葉があります。それは「固くなって」の意味で化石化のようなことなのです。パウロはかつて律法至上主義のパリサイ派でしたので、この状況を誰よりもよく知っていました。キリストイエスは、そのような的外れな「罪人を救うために来てくださった」のです。神様は罪人を救いたいと強く願っておられるのです。

★それではどのようにして覆いが取り除かれるのでしょう。「人が主に向くなら覆いは取り除かれる」とあります。「人」という言葉で、それは全人類に広げられた神の恵みであることが分かります。そして「主の御霊のある所には自由がある。」と記しています。その自由は、何をしても良いという自由ではありません。神様の喜ばれることを何でもして良いという自由です。そしてクリスチャンは「栄光から栄光へと変えられていく」です。これはまさに御霊なる主の働きによるのです。それは私達の自力によるのではありません。「御霊なる主の働きによる」のです。「御霊なる主の働きによる」と言う所に、神様の私達への恵みがあり、私達の安心と希望があるのです。だからこそ、私達は大胆になれるのです。

★そのことを聖霊は助けてくだいます。私達は、イエス様の喜ばれることをもっともっと大胆にしましょう。

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