礼拝メッセージ マタイNO108「全てを尽くし生きる」マタイ22章34~40節 仁井田義政 牧師
サドカイ人がイエス様にやり込められたのを見て、パリサイ人が「今度は私達の出番」とばかりに出てきました。そして律法学者に質問させたのです。するとイエス様は、またしてもパリサイ人の思いもつかない堂々とした答えをなさいました。その答えはパリサイ人だけでなく、クリスチャンの生活にまで鋭く迫る力あふれる御言となったのです。
★パリサイ人の仕掛けた罠は、律法に関する事でした。パリサイ派には、聖書から掘り起こしたり付け加えたりした613の律法がありました。イエス様はある時には「食事の時に手を洗わず」、ある時には「安息日に麦の穂を摘んで口にいれる」こともありました。パリサイ人はそれを見て、イエスは律法を軽んじていると思ったのです。それが罠になると考えたのです。律法学者は、イエス様に「律法の中でどれが一番大切か」と質問しました。もしこれが一番大切だと言えば、他の律法を軽んじたことになるのです。
★イエス様はパリサイ人の質問に「全身全霊で神を愛すること。自分を愛するように隣人を愛すること。その二つに律法の全てがかかっている」と即座に応えられました。イエス様は「律法の全てはこの二つに要約される」と教えられました。パリサイ派の613もの律法を作って窮屈に生きる人生ではなく、「神を愛し、人を愛する」生き方の集中を教えられたのです。
★ 私達もあまり多くの事に心を分散し、集中できない人生を送りやすいのです。クリスチャンの行動の全ては「心をつくし、思いをつくし、知力を尽くして神を愛する」こと。「自分を愛するように他の人を愛する」ことなのです。このふたつは分離できないのです。イエス様はいつも、私達の生活がシンプルになるように教えておられるのです。
★パリサイ人は613もの律法を守ることに必死でした。そのひとつでも破れば神様に裁かれるという信仰でした。しかしイエス様は、そのような人生は空しい人生で、建設的な生き方ではない。裁かれないように生きるのではなく、神を愛し、人を愛する積極的な生き方こそ、本当の信仰者の生き方であると教えられたのです。あなたが「イエス様、私達の人生で何が一番大切なのでしょうか」と問えば、イエス様は「全身全霊をもって、神を愛しなさい。そして自分を愛するように他の人々を愛しなさい」と言われるのです。私達の人生を大改造し、全身全霊で神と人を愛する人生としましょう。