(礼拝メッセージ)マタイNO100「激怒する主イエス」 21章12~17節 仁井田義政 牧師

今日は、マタイの福音書からのメッセージ百回目を記念するに素晴らしい聖書の箇所が巡ってきました。一般的には「イエス様の宮清め」と言われている所です。しかし「宮清め」ではイエス様の真意が伝わらないと思い「激怒する主イエス」とさせて頂きました

★イエス様が神殿の門を入られると、そこに異邦人の庭がありました。その場所は全くの聖でも俗でもない所でした。そこでは巡礼者相手に、犠牲の動物や献金の両替(神殿ではユダヤの硬貨しか認められないため)が行われていました。その庭での商売は祭司長の許可書が必要でした。そのために莫大な利益が祭司長や宗教関係者に上納されていたのです。その様子はイエス様の目に「強盗の巣」に見えました。ですから「私の家は祈りの家と呼ばれる」と激怒されたのです。

★イエス様がそのように言われた言葉は、イザヤ書56章に記されている「私の家は全ての民の祈りの家と呼ばれる」からの引用でした。キリスト誕生の約750年前、預言者イザヤは「キリストが来られると私の家は全ての者の祈りの家となる」と預言していました。そこには異邦人の差別も、障害者への差別も、その他どんな差別もなくなるという預言です。しかしイエス様がエルサレムで見た現状は、宗教者が行なっている差別と搾取でした。イエス様は「激怒して」実力行使をされたのです。鞭を作りテーブルを倒し、椅子を蹴ったのです。いつもの柔和なイエス様からは考えられない姿でした。

★どさくさにまぎれて、異邦人の庭に盲人や足のなえた人々が侵入してきました。彼らは異邦人の庭にさえ入ることを許されませんでした。長い間、神殿の外で巡礼者達から物乞いをしていたのです。彼らは、一度も神殿に入ることが許されなかった人々です。ですからこのどさくさの中に、イエス様による差別撤廃の希望を見出したのです。そんな彼らにイエス様は、神殿において祝福の祈りをして下さいました。なぜなら「私の家は全ての者の祈りの家となる」と預言されているからです。

★その様な事件があった後、誰もイエス様を支持する者がいなくなり、子供たちだけが「ホサナ」と叫んでいました。それには逆説と皮肉が込められています。私達は新しい神の家である教会です。ですから教会は「全ての者の祈りの家」と言われているように、差別のない所としようではありませんか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする