(メッセージ)「聖書をモンゴルのことばへ」詩篇19篇7~11節 北村彰秀先生&萬里子先生
モンゴルとはどんなところか。それは広大な草原の国、遊牧の国ですが、町の中の生活は、日本の町の生活とそれほど違いはないと言ってもよいでしょう。
私たちは聖書をモンゴル語に翻訳する奉仕にあたらせていただいていますが、今日はその聖書翻訳の苦労と喜びをみなさんとお分かちしたいと思います。
★まず、聖書翻訳は決して一朝一夕にできるものではありません。「まだできないのか」と時々言われることもありますが、時間のかかる仕事です。ウィクリフの鳥羽季義(すえよし)先生が、40年ぐらいかけて聖書をネパールのカリン語に翻訳されましたが、私たちの場合も、同じぐらいの年月がかかっています。
★翻訳で最も難しいのは、原文の意味を把握することではなく(それも時として難しいことがありますが)、ぴったりした訳語、表現を見つけることです。「ぴったりとした言葉は稲妻のように輝き、それに近い言葉はホタルのように輝く」という言葉があるそうですが、稲妻のような訳をめざし、訳文に命の息を吹き込むのは、大変な作業です。少しでもその理想に近づくべく、労しています。
★しかし、この仕事をしながら、聖書を深く味わうことができるのは大きな恵みです。創世記に出てくる語呂合わせ、講談口調の士師記、壮大な規模のイザヤ書、あまりに現代的なエレミヤの葛藤等々、みことばの興味深さは十分に語ることができないほどです。
★聖書はこのような興味深い語り口で我々の歩むべき道を教え、そして何よりも救い主イエス・キリストを紹介し、救いの道を示しています。
★イエス様は全世界に福音を伝えよとの大宣教命令を与えられました。伝道に、そして信仰生活になくてならないものは聖書の翻訳です。
★民主化以後、モンゴルも福音宣教の門戸が大きく開かれました。今こそ伝道の好機であり、モンゴル語の聖書が必要です。
★日本はモンゴルよりも100年以上前に信仰、伝道の自由が認められました。そして教会が建てられ、クリスチャンが教会の歴史を刻んできました。モンゴルと友好的な関係にある日本には、できることがあり、何らかの責任があるのではないでしょうか。聖書モンゴル語訳の働きに、ともに重荷を負っていただければ幸いです。