(礼拝メッセージ)マタイNO76「心から出るものが人を汚すマタイ15章10~20節 仁井田義政 牧師   

今日の御言は、弟子達が「食事の前に手を洗わなかった」ことによって起こった話の続きです。イエス様はパリサイ人達との論争の後、パリサイ人達から軽蔑されていた群衆を呼び寄せました。そして私たち人間がどんな事に一番気をつけなければならないかを教えられました。

★手を洗わないで食事をするのは、律法違反だというのがパリサイ人だけではなく、当時の一般的な常識でした。それは衛生のためではなく、宗教的な「汚れを洗う」ということで常識だったのです。日本人にも神社でお参りする前に、手水舎(てみずや)で手を洗い、口をすすぐという習慣があります。葬儀の帰りに塩などで汚れを浄めるのと同じです。また神道では、悪いことをすれば禊という汚れ落としがあります。イエス様が群衆を呼び寄せられたのは、そのような外側のだけの浄めは間違っていると教える為でした。

★パリサイ人はイエス様の話を聞いて、怒り心頭に達しました。それは当時の宗教と一般的な常識に対して、正面から反逆する危険人物に見えたからです。イエス様は「彼らが私の話を聞いて怒るのは、神様に救われていない証拠だ」と話されました。「天の父が神の農園に植えなかった木は、根こそぎ取り去られます」という言葉は、そのことを言ったのです。パリサイ人が怒るのも当然ということが出来るでしょう。彼らはパリサイ人達は「自分達は神様に最も近い清い生活をしている」と公言していたからです。

★弟子達にとっても「手を洗わないで食事をしたことは、自分達が間違っていた」と思う程の状況でした。弟子達にイエス様は「あなたがたもまだ分からないのか」と言われました。どんな時代も内側が大切なのに、外側ばかりを大切にするのが人間の常になってしまったのです。旧約聖書にも「あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。」(ヨエル2:13)と教えられています。外側ばかりを清く見せても、心が汚れているならば、クリスチャンでないことにさえなるのです。「口から入るものは人を汚さず、口から出るものが人を汚す」のイエス様の教えの通りです。

★私達はこの新しい年を歩むにあたって、外側と内側をしっかりとしなければなりません。自分の内側の汚れを棚に上げて、人の外側を許せなかったパリサイ人のようになってはなりません。内側が清められていない人の心からは悪い言葉が出て人を汚します。それだけではなく、パリサイ人達がそうであったように、自分の信仰さえその言葉によって汚すのです。そのようなことが無いように、私達の内側の心を清くしましょう。

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