第一コリントNO33「イエスは主である」12章1~3節 仁井田義政 牧師
コリント人への手紙12章は、前の章とは違う新しい内容で書き始められています。その新しい内容とは、教会に与えられた聖霊の賜物のことです。
★パウロは「御霊の賜物についてはぜひ次のことを知っていただきたい」と記し始めました。それは、異教社会から教会の中に異教的な興奮を持ちこみやすかったことによります。どんなに異教の礼拝で神がかり的な事があったとしても、それは物言わぬ偶像の前の興奮にすぎないと教えました。
★パウロは、聖霊に満たされている者は「イエスは呪われよ」とは言わないと言いました。これは、ユダヤ教徒たちがクリスチャンを迫害して、踏絵的に言わせたのかもしれません。パウロもかつてはクリスチャンへの迫害者でした。ですからパウロ自身も、かつては「御名を汚す言葉を言わせようとした」(使徒26:11)のでした。申命記21章22~23節の「木につるされた者は、神に呪われたものである」などの御言を用いたのでしょう。
★キリスト教徒の迫害者であったパウロが、「神の御霊によって語る者は誰でも、イエスは呪われよと言わず、また聖霊によらなければ誰もイエスは主ですと言うことは出来ません」と記したのです。それは口先だけの告白とは違います。イエス様は、終りの時には口先信徒が出てくることをマタイ7章22節で預言されました。しかし聖霊によって「イエスは主です」と告白する者は真のクリスチャンです。聖霊は心から「イエスは主です」と告白させるのです。この時代は、「皇帝は主です」と言わされることが多い時代でした。その時代に「イエスは主です」という告白は、信仰的な勇気が必要でした。
★聖霊の賜物としての最大の働きに導かれて「イエスは主です」と告白に導かれた者は、決して「イエスは呪われよ」とは言わないのです。もっと分かりやすく言うならば、信仰からの脱落をしないのです。親兄弟の言葉にも左右されない。自分自身の心の声にも左右されないのです。どんな宗教的な興奮にも惑わされない。どんな霊的に見える人間にも惑わされない。そのような信仰こそ、聖霊による「イエスは主である」との信仰告白です。
★聖霊の導きに全身全霊をゆだねて「イエスは主である」と告白しましょう。また洗礼を受けていない人も、聖霊の導きに従順になって、私も「イエスは主である」と信じますと信仰告白の祈りをしましょう。