8月28日礼拝メッセージ「見よ、死は勝利にのまれた」

第一コリントNO45「見よ、死は勝利にのまれた」15章50~58節                                  仁井田義政 牧師

jesus-coming-out-of-the-tomb コリント第一の手紙のメッセージは、ついに結論の中の結論に入りました。今日の御言は、これから記すことがどれほど大切なことかを示す言葉で始まっています。私達も心を整えて、しっかりと今日の御言を聞きましよう。 

★「兄弟達よ、私はこのことを言っておきます」と、これから記すことがいかに重要であるかを示しています。また、51節の「聞きなさい」も、同じく重要なことへ注意を促す言葉です。聞きなさいは、ギリシャ語の意味では「見なさい」です。何を聞き、何を見るのかと言うと「神様の奥義」です。神様がなされる死者の復活の事実です。奥義はギリシャ語の「ムステリオン」で、ベールに包まれて普通の人には見えないものを指す言葉です。このギリシャ語の「ムステリオン」から、英語の「ミステリー」と言う言葉が生まれました。人間の側がどんなに努力しても、絶対に神様の奥義を見ることは出来ません。しかし神様は、イエス様を信じる者にその「奥義」を見せて下さるのです。神様は、その奥義というカーテンを開けて下さいました。それによって、「死者は眠るのではなく、一瞬にして新しい霊的な体に変えられる」ということがはっきりとわかったのです。                    

★イエス様は、歴史を通して人類を恐怖に落とし込んでいた人類最大の敵である死に、敗北を与えられました。パウロは、歓喜の言葉を「死は勝利にのまれたのである」と記しました。それはイザヤ書25章8節の成就でした。人類をその棘で刺し続け苦しめ悩ませてきた死は、完全に毒針を抜かれたのです。死の毒針を抜いて下さったのはイエス・キリストです。イエス様の復活が、私達の復活の揺るがない希望となったのです。

★イエス様は、奥義のカーテンを開けて見せて下さいました。それは「私達の死に対する勝利」でした。その事実の上に、私達は生きる意味と勇気を得るのです。「死は勝利にのまれた」のです。イエス様は、私達を勝利者として下さいました。私達には永遠の命が与えられているのです。もう死後のことで思い悩むことはありません。ですからこの世においては、イエス様の為に献身的な生き方をしましょう。

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