第一コリントNO46「復活の主にある共同体」16章1~4節 仁井田義政 牧師
コリントの手紙が書かれていた頃、福音の出発の地となったエルサレム教会の置かれた状況は激変していました。おそらく迫害による経済的な窮乏が起こったのです。その問題に対処するために今日の御言は書かれました。
★すでにガラテヤ地方の諸教会では、エルサレム教会のための献金が行われていました。迫害が厳しくなったため、エルサレム教会のある者達は外国へと散って行ったのでしよう。残されたのは、貧しくて外国に避難する事さえできないクリスチャン達だったろうと思われます。当然、エルサレム教会の信徒達を支える牧師もそこに留まっていたわけです。クリスチャンも牧師も困窮していました。パウロはエルサレム教会の窮状を知って、すでに小アジアのガラテヤ地方の諸教会から献金を集めていたのです。
★パウロがコリント教会に行なった献金の方法は、ガラテヤの諸教会と同じ、週の初めの日曜日の礼拝で集めるものでした。週の初めの日曜日とは、イエス様の復活記念の日です。コリントはギリシャの教会ですが、その教会が遠く離れた同じ復活の主を礼拝しているエルサレム教会の貧しい人々の為に献金をするのです。
★パウロは、エルサレム教会への献金を自分の手柄にしないように、細心の注意を払いました。エルサレム教会を窮状から救って英雄になりたいのでも、エルサレム教会の上に立ちたいのでもありません。ただコリント教会の真心を献金として届けたかったのです。
★この所は、私達クリスチャンに献金とは何かを教えてくれます。それは強制されてではなく、自由意志ですべきなのです。また、世界のクリスチャンは、主にある共同体であることを教えています。使徒信条の中にも「公同の教会」という言葉がありますが、それに当たるのです。別の言い方をすれば「復活の主にある共同体」です。共同体であるということは「ひとつの体である」と言うことです。ですから体の一部分が痛めば、体全体が痛むのです。私達の教会も、「復活の主にある共同体」の役割を充分果たし得る強い教会とならなければなりません。私達はさらに成長し「復活の主にある共同体」として、他の教会を助けられる力強い教会になりましょう。