第一コリントNO27 題「歴史から学びとる教訓」10章1~6節 仁井田義政 牧師
聖書は、歴史は単なる時間の累積でも、偶然起こった事件の羅列でもないことを教えています。今日の聖書の箇所も、信仰の失格者とならない為に「旧約聖書の歴史に学びなさい」と教えています。歴史は英語の「ヒストリー」であり、それは「ヒズストリー」つまり「彼の物語」から来ているのです。「彼」とは誰でしょう。それは「神様」です。
★今日の聖書の箇所で、前章との接続に「そこで」と訳されていることは重要です。それがあって初めて前章との関連があり、失格者とならない為の教えであることがわかるのです。自分の好みによる指導者選び問題・生まれながらの知恵に頼るギリシャ人の問題・不品行つまりポルネイヤー問題・結婚離婚問題・偶像に捧げた肉問題・パウロの使徒職問題とパウロの生活費問題。そして、9章の最後に「信仰の失格者になることがないためです」と教えています。
★失格者とならない為に旧約聖書の歴史から学びなさいと、パウロはイスラエルの出エジプトの歴史を例に出しました。神様の恵みによって奴隷から救出されたのです。パウロは「雲の柱」を神の臨在。「海」は紅海の通過。「マナ」は御霊の食べ物として記しました。その指導者はモーセです。それを新約時代の救いの型として記しました。雲は聖霊。海は洗礼。御霊の食べ物は聖餐式。岩の水はキリスト。モーセは指導者キリストです。
★このように出エジプトは神の恵みに満ちていたのに、信仰の失格者が続出しました。イスラエルに帰ることが出来たのは、エジプトを出る時に20歳以下の人達だけだったのです。例外はヨシュアとカレブの二人だけでした。パウロは教会員に、洗礼を受けたから、聖餐式を受けているからと安心して傲慢になってはならないと教えているのです。5節の「荒野で滅ぼされ」は「荒野に撒き散らす」の意味のギリシャ語です。その原因になったのは「悪のむさぼり」です。「むさぼる」という言葉には、「自分の好む事のみをする」という意味があります。私達も気を付けなければなりません。聖書はコロサイ3章5節で「このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」と言っています。私達クリスチャンは、神様の力強い恵みに包まれているのですから、信仰の失格者になることなく、勝利者になりましょう。