礼拝メッセージ(マタイ58)「心優しいキリスト」マタイ11章25~30節 仁井田義政牧師
イエス様が真心を尽くして人々に接し救いを与えようとしても、イエス様に対してある人々は無視し、ある人々は敵対するのでした。それでもイエス様は、人々のために前進されました。そのような力の秘訣をイエス様から学びましょう。
★「その時」とは、先週お話ししたような、ガリラヤ地方の人々のイエス様に対する無理解の時でした。イエス様は「その時」に父なる神様に目をむけられました。その結果、父なる神様の「御心」がはっきりと見えたのです。御心とは、神様の霊的な真理のことです。普通の真理ならば、この世の知者や学者も見出すことが出来るでしょう。しかし神様の霊的な真理は、知者や学者には隠されています。ですが「幼子」のような者達には、その真理を見えるようにして下さったのです。誰でも謙遜にならなければ、この霊的な真理だけは知ることができないのです。それが「父なる神の御心にかなったこと」でした。それは、神様の卓越した知恵から出た計画でした。
★イエス様は、自分の教えに反対し敵対する人々が多く起ころうとも、謙遜になってイエス様の救いに平安を見出す人達を探し「すべて疲れた人、重荷を負う人は私の所に来なさい」と言われました。「私が」と身を乗り出して、私達に語りかけてくださっているのです。イエス様がこの地上に来られて「私が・・」と私達の人生に分け入り、立ちはだかり、身を乗り出して関わって下さるのです。
★イエス様の「心の優しさとへりくだり」は、イエス様の生活と関係があるでしょう。神の神子であられるのに、軽蔑されたナザレ村の大工の家に生まれ、早くに父親を失い、母親や兄弟達からさえも誤解を受けたこともありました。人々や弟子達からも裏切られる体験もされ、私達の体験する全ての苦しみを体験されました。そこから出るイエス様の「心の優しさと、へりくだった」姿なのです。そのイエス様の優しさとへりくだりから、私達の心に「安らぎ」がくるのです。
★あなたはイエス様など必要がないと思って生きる人生を選びますか。そのような生き方に「魂の安らぎ」はありません。謙遜になって、イエス様を信じて生きる人生を歩みましょう。そうすれば、心優しいイエス様がいつも一緒です。心からイエス様を信じる人となりましょう。