(メッセージ)「コラジンよ!ベッサイダよ!」マタイ11章16~24節 仁井田義政牧師
多くの人達は、バプテスマのヨハネの話もイエス様の話も無視し続けました。イエス様は、その現状に深く悲しまれました。イエス様は、そのかたくなな町々を責め始められました。今日の御言葉には、不信仰な者に対するイエス様の悲しみと怒りとが現れています。
★ イエス様は「この時代を何に譬えようか」としばらく考え、子供達の遊びに譬えられました。「笛を吹く」と言うのは、子供達の結婚式ごっこのことです。しかし「笛を吹いても他の子供達は踊らなかった」と言います。それでは「葬式ごっこをやろうと弔いの歌を歌ったのに、他の子供達は悲しまなかった」と言うのです。つまり何をしても無反応な人々はそれと同じなのだと言うのです。
★バプテスマのヨハネは、荒野で獣の皮を着て禁欲的な生活をしながら預言活動をしました。すると人々は「あれは悪霊に憑かれているから、あのような事を言うのだ」と言って非難しました。イエス様は、ヨハネの禁欲的生活と比べると自由で明るい方でした。食事に招かれればどこにでも行って一緒に交流を持ち、食事を楽しまれました。すると人々は、イエス様を「大食いの大酒のみ」と批判し信じませんでした。
★イエス様の教えが正しいことは「その行ないが証明する」とイエス様は言われました。イエス様は町や村を巡り、誰の目にも留められなかった人々に近づき救われました。素晴らしい働きを開始されたのです。私達の時代は、イエス様の誕生から約2013年です。私達は2013年の間に、イエス様が行なわれた世界的な規模の良い御業を見ているのです。イエス様によって、どれだけ人類文化が良い影響を受けたか計り知れません。
★イエス様は、ガリラヤの町コラジンやベッサイダの町より、異教徒の町のツロやシドンの方が神の裁きが軽い。イエス様の宿泊地カペナウムより、ソドムの地の方が神の裁きが軽いと言われました。それはガリラヤの町は、イエス様から福音を聞いても信じなかったからです。イエス様はそのような無関心に固執する人間の不信仰を「笛を吹いても君達は踊らなかった。弔いの歌を歌っても悲しまなかった」と心を痛められたのです。それは、イエス様が人々を愛していたからに他なりません。私達はイエス様の愛を信じて、イエス様と共に喜び合う人となりましょう。
