第二コリントNO11「キリストの愛が私達を取り囲んでいる」5章11~15節 仁井田義政 牧師
パウロの生涯は苦難の連続でしたが、そのような中にあっても、決してクリスチャンとしてのありようを失いませんでした。パウロは「キリストの愛が私達を取り囲んでいる」と告白しています。これがクリスチャンの原動力であり、全ての活動の動機なのです。今日はそのことを学びましょう。
★私達の人生には、神様に収支報告をしなければならない時が必ずやってきます。それはイエス様が話されたタラントの例えでもわかります。パウロは人生最期の時のことを「主を恐れることを知っているので、人々を説得するのです」と言いました。「恐れる」とは、強く敬うという意味です。
★パウロは自分のしようとしていることは、コリント教会の人々全ての為であって自分の為ではないと言いました。しかしコリント教会には、パウロに敵意を持つ人々がいたのです。そのことは「神の御前で」で明らかなのですが、「あなたがたの良心にも明らかになるように」と記しました。
★なぜパウロは、それ程までしてコリント教会に関わるのでしょうか。人々から見れば、そのようなパウロの粘着質が「気が狂っている」と見えたのでしょう。その情熱が「気が狂っている」と見えるならば、それは「ただ神のため」であるとパウロは言いました。また「キリストの愛が私達を取り囲んでいるからです」とも言いました。パウロは神様の愛を自分だけに見ていたのではありません。キリストを礼拝する「私達を」です。だから、罵られてもコリント教会を捨てることが出来なかったのです。
★信仰の成長は「自分の救い」から始まります。少し信仰が成長すると「人々の為」と言う信仰になります。つまり信仰の共同体である私達「教会の為に」となります。更に成長すると「キリストの為に」という信仰になるのです。もちろんそれらが別々になるというのではありません。全部内包された信仰となるのです。自分の救いを信じましょう。教会に注がれているキリストの愛を信じましょう。神様の愛は、私達を四方八方から取り囲んでくださっています。その先行する神様の愛を信じ、私達もキリストを愛する為に生きるクリスチャンへと成長しましょう。恐れることは何もありません。今日もキリストの愛が私達を取り囲んでいるのですから。