第二コリントNO9「土の器であっても」4章7~15節 仁井田義政 牧師
今日の御言には、使徒パウロの宣教と苦難が記されています。パウロの宣教目的は、「神の栄光が現れるため」(4:15)でした。
★パウロは偉大な伝道者であって、数々の教会を創立しました。しかし、その働きに対して必ずと言ってよいほどの迫害が起こったのです。その迫害の激しさは、「39回の鞭を打たれたことが5度」(11:24)と、「いつでもイエスの死をこの身に帯びている」(7:1)との御言でわかります。
★パウロにとって「イエス様は福音の為に迫害を受け、十字架に付けられて殺された。私もイエス様の福音に仕える者として、迫害されることは当然なこと」と受け止めていました。パウロはそのような迫害と苦難を受けても、伝道を諦めませんでした。そのことの結果を知っているからです。その結果とは「それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。」(4:15)
★パウロは「私達は・・・土の器」と言いました。「私達は」とは、福音に仕える伝道者、牧師、宣教師、クリスチャン達のことです。パウロは神様に仕える自分達を、粗末な、見栄えのしない、安価な、壊れやすい土の器に例えています。それは器自体には何ら誇るものがないということです。しかし神様は、あえてこのような土の器のような者達に福音の働きを委ねて下さったのです。働き人である器が誇ることがないためです。
★今日の御言にある「土の器」は、単独の聖句として読んでしまう時に、情緒的に流されてしまう御言でもあります。しかし迫害の真只中の御言として読む時に、私達の真に迫ってくる御言です。弱い器でありながら、自分の内に与えられた福音には「人々を救う測り知れない力がある」のです。イエス様の救いを伝えるならば「ますます多くの人々に及んで、感謝が満ち溢れる」のです。そして大宇宙の全ての目的である「神の栄光が現れる」ようになるのです。そのような大きなことが、なんと価値のない土の器から始まるのです。自分に与えられた福音を広める為に、苦難をも引き受けるならば、あなたを通して多くの者が救われるのです。与えられた福音を伝える為に、苦難をも引き受けるクリスチャンとなりましょう。