第一コリントNO38「愛を追い求めなさい」14章1~19節 仁井田義政 牧師
前の章から聖霊の賜物問題が続いて記されています。この章はとても大切です。この所を通して、正しいペンテコステの信仰を持ちましょう。
★コリント教会には、行き過ぎた人々がいました。収拾がつかないほど、異言で祈る人たちがいたのです。異言の伴う聖霊のバプテスマこそ最高の賜物だと主張し、牧師が説教出来ない程に異言で祈っていたのです。それでは礼拝になりません。現代にも、行き過ぎたペンテコステ派があります。異言が救いの証拠だと言う人たちもいるのです。
★パウロは、賜物は全て人の徳を高めることにあると記しました。異言は人の徳を高めるのではなく、自分の徳を高めるのであると教えました。しかし預言である説教は人の徳を高めるのであるから、教会の礼拝においては、預言をする人に従うべきであると教えました。それは異言が必要ないと言っているのではありません。パウロは「異言は自分の徳を高める」と、聖霊の働きを教えています。だからこそ、イエス様が与えて下さったのです。自分の信仰を高めないでどうして伝道ができるでしょう。聖霊のバプテスマは伝道の力です。だからと言って異言を解き明かす人がいなければ、異言そのものでは伝道できません。ですから説教の代わりにはならないのです。
★ パウロは「霊において祈り、知性において祈りましょう。霊において賛美し、知性において賛美しましょう。」(1コリ14:15)と教えました。聖霊のバプテスマを知らない教会では、神の教会の豊かさを失い、礼拝も大学の教室のような礼拝になることが多いのです。私たちの教会では、霊において祈り、知性において祈り、霊において賛美し、知性において賛美するのです。
★パウロは「私はあなたがたの誰よりも多くの異言を話すことを神に感謝している」(14:18)と言っています。さらにパウロは「愛を追い求めなさい」と教えました。それは愛されることではありません。愛することです。その道は生やさしいものではありません。聖霊によって霊性を高め、賜物を用い人々を愛するのです。あなたも愛を行なうクリスチャンとなりましょう。