8月3日礼拝メッセージ「苦難に立ち向かうイエス様」

(礼拝メッセージ)マタイNO96「苦難に立ち向かうイエス様」マタイ201719仁 井田義政 牧師

イエス様と弟子達はエルサレムの町に近づきました。イエス様は弟子達に、ご自分がエルサレムの町に入るとどのような事が起こるかを話されました。それは容赦のない迫害のことでした。しかしイエス様にはその苦難に対する勝利の確信がありました。人は苦難の中にある時も苦難に勝利することが出来ると確信さえするならば、苦難に立ち向かっていくことが出来るのです。

★ イエス様は、弟子達だけにご自分の苦難の意味を話されました。イエス様が御自分の受ける苦難を弟子達に話されたのは、マタイ16章21節、17章22~23節、そして今日の所の3度目でした。そして今回は、十字架に付けられることまで、はっきりと話されたのです。

★エルサレムに行くと「私は祭司長、律法学者達に引き渡される」と言われました。誰によって引き渡されるのでしょうか。こともあろうに、この話をイエス様から聞いている十二弟子のひとりイスカリオテのユダによって売り渡されるのです。ユダから買い取るのは、同じ民族のユダヤ人でした。しかしさらにユダヤの同族から、さらに異邦人に引き渡されるのです。ユダヤ人のイエス様が異邦人に引き渡されるということは、屈辱でした。しかもその処刑は、ユダヤ人には最も屈辱的なローマの極刑である十字架に付けられて殺されるのです「木に掛けられた者は呪われた者である。」(申命21:23)と旧約聖書にあります。イエス様は、神様からも捨てられた者として苦しみを受けられるのです。

★イエス様は、これほど残酷に取り扱われるエルサレムになぜ向かうことが出来たのでしょうか。全人類の罪の身代わりとなるという目的を知っておられたからです。そして勝利の復活を信じておられたからにほかなりません。なぜ私達は苦難に弱いのでしょうか。それは苦難の意味も、苦難に対する絶対勝利をも信じられないことが多いからです。

★イエス様は完全勝利を今日の御言で宣言しておられます。それはどんなに苦しめられ嘲られても、必ず私は勝利の復活をするという確信があったからです。イエス様の苦難と私達の苦難は比べようもありませんが、私達にも苦難はあります。私達も苦難には意味があることと、必ず主にあってその苦難に勝利することが出来ると信じて、苦難に強く生きましょう。

 

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