(メッセージ マタイNO128)「ユダの後悔」マタイ27章1~10節 仁井田義政 牧師
祭司長カヤパの庭でイエス様の様子を見ていたペテロ。もう一人、昨晩からイエス様の様子を見ていた人物がいました。イエス様を裏切ったイスカリオテのユダです。彼は自らの裏切りを激しく後悔しました。そのユダの姿に、ユダの本心が見えるのです。
★祭司長達は、既にイエス様を死刑にすることを決めていました。ユダはその成り行きを見ていました。なぜユダは裁判を見ていたのでしょうか。死刑の判決が下れば、イエス様が革命のために立ち上がると思ったのかもしれません。しかしイエス様は嘘の証言で罪を着せられても、自己弁護されませんでした。それだけではなく、口を開けば自分にとって不利になる事ばかりを言われたのです。挙句の果てには、ローマの十字架で処刑されることになったのです。旧約聖書には「木に付けられるものは呪われた者である」という言葉があるので、当時ユダヤ人たちは最も十字架刑を嫌ったのです。それを知ってユダは、祭司長達に銀貨を返してイエス様を取り戻そうとしたのかもしれません。
★ユダは「罪のない人を売ってしまった」と言って後悔しました。しかし「後悔」(メタメロマイ)と、「悔い改め」(メタノイアー)は、似ていますが、全く違うのです。「後悔」は悔いて悲しむことで、「悔い改め」は、自分のした罪を悲しみ、神様に立ち帰ることなのです。ペテロもユダも、同じ場所でイエス様を裏切ったのです。しかしペテロは「悔い改めて」弟子達(教会)の所に帰り、ユダは自分の裏切りに悲しみ「後悔し」ましたが、悔い改めず自殺して、イエス様からも弟子達(教会)からも離れてしまったのです。
★5日前のエルサレム入場の時は、ユダも「イエス様は王様になってくださる」と、最高の信仰を持っていたはずです。イエス様がエルサレムに入られたからには、革命を指導して下さると期待していたようです。しかしイエス様には、革命の意思など全くないと知り、ユダはイエス様にあいそを尽かしてしまったのです。そしてイエス様を僅か銀貨30枚で敵に売ったのです。しかし今や、祭司長達の悪巧みで十字架につけられようとしているのです。彼は「私は罪のない人を売ってしまった」と悔いて悲しみました。ユダは、イエス様を裏切るという最大の罪を犯してしまったのです。自分勝手な信仰の結末は、裏切りです。イエス様は、革命家でも世直しの政治家でもありません。私達を罪から救って下さる救い主なのです。