(メッセージ マタイNO129)「十字架につけろ」マタイ27章11~26節 仁井田義政 牧師
大祭司カヤパの庭でのイエス様の裁判が終わり、その判決は死刑でした。しかしイスラエルはローマの植民地だったため、それだけではイエス様を処刑することは出来ませんでした。そこでカヤパは、イスラエルを支配するローマの総督ピラトに引き渡しました。裁判官は、正義に基づいた裁判を行なうことが当然な義務ですが、またしてもイエス様の前で人間の汚さが現されてしまうのです。
★ピラト官邸でも、イエス様の裁判が始まりました。祭司長や長老達は、イエス様を有罪にすべく不利な証言をし続けました。カヤパの家での判決は「神殿侮辱罪と自分を父なる神と同等の立場にした」ということの宗教的罪での判決でした。しかし宗教的な罪ではローマの法に触れることはないので、どうしても政治的罪に仕立て上げなければなりませんでした。つまり祭司長達は、イエス様がローマへの反逆を計画したと論点を変えなければならなかったのです。そのために嘘の証言をしました。ですがイエス様は自分へのどんな嘘や不利な証言がされようと、ひとつの反論もせずに黙っておられました。
★総督ピラトは、祭司長や長老達がイエス様へのねたみから訴えていることに勘付いていました。そこでピラトは、過越しの祭にユダヤ人の囚人を一人だけ赦免する習わしを用いて、イエス様を釈放しようとしました。人々に名の知れたバラバ・イエスと、キリストと呼ばれているイエスのどちらを恩赦するのが良いのか選ぶように言いました。すると祭司長達は「バラバを釈放し、イエスを十字架につけよ」と群衆を扇動したのです。
★ピラトは群衆の暴動を恐れてバラバを恩赦し、イエス様を十字架につけることを決定しました。総督ピラトも正義を貫かなかったのです。祭司長達(宗教界の長)や、総督ピラト(政界の長)や、民衆(庶民)の不正義によって、イエス様は十字架に渡されたのです。しかしイエス様は、そのような人間の動物的本能にも近い自分を守ろうとする心から出る醜さ、汚さ、弱さの腐りきった流れの中で、ただ一人神様の御心だけを考えて進んで行かれたのです。イエス様の心の中には、イザヤ書53章7-8節の御言があったと考えられます。それはどんな不当な証言や屈辱を受けても、どんな不当な裁判の判決を受けても消えませんでした。まさにイエス様は神の御子であられたのです。このお方こそ救い主キリストなのです。このお方を心から礼拝しましょう。