(礼拝メッセージ)マタイNO49「羊飼いのない羊のように」9章35~38節 仁井田義政 牧師
イエス様はイスラエルの指導者層からは「彼は悪霊どもの頭を使って、悪霊を追い出しているのだ」と悪口を言われました。そのような許せない評価の中で、イエス様は今日の御言葉を話されたのです。そのイエス様の言葉と行動には、愛が満ち溢れています。
★イエス様は、カペナウムの町で人々の救いのために忙しい毎日を送っておられました。たとえ指導者達に悪く評価されても、その働きを決して休まれませんでした。しかしイエス様は町だけに関心があったわけではありません。町と同じように、全ての村にまで訪ね歩き福音を伝えられたのです。イエス様は、第一に「福音をのべ伝え」、第二に「あらゆる病気、あらゆる煩いを癒やされた」のでした。それは人間の全人的な救いでした。
★イエス様は、町や村を訪ね歩いてユダヤ人会堂で話をされました。そこは、ユダヤ人指導者によって人々が導かれている所だったからです。しかしイエス様の見られたものは「羊飼いのいない羊のように、群衆が弱り果て、倒れている」姿でした。「弱り果て倒れている」は、傷を受け引き裂かれているという意味の言葉です。イエス様は人々を「かわいそうに」思われました。「かわいそう」とは内臓が揺さぶられると言う意味です。
★するとイエス様は「収穫は多いが働き手が少ない、収穫の主に願って働き手を送って下さるように祈りなさい」と弟子達に命じました。膨大な群衆を救いに導くためには、働き手が少ない現状を感じたからです。一刻の有余も赦されない収穫すべき時に、働き手が少ないのです。このままでは収穫されずに駄目になってしまうと言う意味です。群衆が天国の神の倉に収穫されず、腐り果てて地獄へ落ちて行くのです。それこそイエス様が見られた「羊飼いのいない羊のように、弱り果て倒れている」群衆の「かわいそうな」姿でした。
★そのような人々を見られ、イエス様の心は激しく痛みました。五臓六腑がえぐられる様な感情を持たれたのです。イエス様の愛は、その人々の前を通り過ぎることが出来ませんでした。もうイスラエルの指導者達に任せておけない、自分と同じ心を持った新しい働き人が必要であると感じられたのです。イエス様こそ詩篇23篇の中に出てくる「良き牧者」です。主は、切なる思いで働き人を求めておられます。あなたも働き人になりましょう。牧師に導かれている人は牧師になりましょう。そして私たち皆が、主の収穫の畑で働き人となりましよう。