(第一コリントNO16)「教会とクリスチャンの品格」第一コリント5章9~13節 仁井田義政 牧師
先週お話ししましたように、コリント教会は不品行問題で、教会の品格が地に落ちる寸前の状態になっていました。キリスト教会と言う名がついていても、キリストの品格を失ってしまうならば、キリスト教会ではなくなってしまうのです。
★コリント教会の人々には、パウロの前の手紙に対する誤解がありました。 それは前の手紙で「不品行な者と交際しないように」と書いた文に対してでした。それを「教会外の全ての人と交際してはならない」との内容と誤解したのです。しかしそれは「兄弟と呼ばれる者で、世の中の人と同じことをしている人とは交わりをしてはいけない」との教えでした。
★パウロは、コリント教会に入り込んでいた悪の項目を記しています。その一番ひどいのは不品行「ポルネイア」でした。そして貪欲・偶像礼拝とさらに続けて記しています。教会は愛が大切だからと言って、そのような人達をクリスチャンと認め食卓を共にすれば、皆がそれで良いのだと思うでしょうし、救われたばかりの初心者達もそう思ってしまうでしょう。
★教会もクリスチャンも品格を大切にして、キリストの高さにまで高めなければなりません。先週お話しました5章8節の「古いパン種の入らない、純粋で真実な祭り(礼拝)をしようではありませんか」に続いているのです。しかしコリント教会では「不品行な人がいても、教会から取り除こうとも、悲しむこともしなかった」(5:2)のです。「悪い人達をあなたがたの中から除きなさい」とパウロは勧告しています。それは厳しい処置の除名なのです。
★キリストの教会は、キリストの品格を失ってはなりません。腐ったミカンは取り除かないと、箱全体のミカンを腐らせるのです。アッセンブリー教団は、数年前に教職倫理規定を作りました。それに違反した場合、牧師は処分を受ける事になるのです。
★教会やクリスチャンの品格を落す肉的なものは、ガラテヤ書5章19節~21節で明らかにされています。その反対にクリスチャンの品格を高めるものは、ガラテヤ書5章22節~23節で記されています。世の中の皆が行なっていることだからと言って、妥協的な生き方をしてはなりません。私達は、イエス様の品格の高さを求めて生きていきましょう。