(9月20日礼拝メッセージ) 「高慢にならないために」

(第一コリントNO12) 高慢にならないために」第一コリント4章6~8節 仁井田義政 牧師

 パウロは、コリントの教会信徒達が陥っている罪について、例を見ないほど強い言葉で叱責しています。それはコリント教会が今日の問題を解決しなければ、今後の教会の発展が望めないからです。これは現代のクリスチャンにも当てはまる問題です。それは高慢という罪の問題です。

★ギリシャ人の多いコリント教会の信徒達には、哲学の民として知恵者知識者としての誇りがありました。その結果、自分の所属する学派は絶対支持であり、他の存在は認め難い傾向がありました。それが議論好きな民となっていたのです。その議論好きが、コリントの教会内でも仲間を作り、分派を構成し、他者攻撃と指導者攻撃となっていたのです。

★そのようなコリント教会の信徒達に「書かれていることを超えないために」とパウロは書きました。「書かれていること」とは何でしょうか。それは「聖書全体で言っていること」という意味です。聖書に書かれていないことを信じるのは間違ったことです。体験主義は神秘主義であり、書かれていないことを神が教えてくれた、神が幻で見せてくれたと言って持論を主張するのです。そして一方に対しては強く支持し、他方を見下げるのです。

★そのような傲慢になるのを避けるために、自分が生まれながら頭が良い、優れていると思ってはならないとパウロは教えています。全てのものは神様から頂いたものであって、ひとつとして自分の究極的な所有はないのです。高慢にならないためには、知識も知恵も信仰も救いも全てが神様から頂いたものであると気付くことなのです。

★アポロもパウロも、コリント教会の指導者として神様が与えて下さった人です。それなのに一方を受け入れ、一方を軽んじるとすれば、自分達が王様になっており、神様の助けが要らないと言うことになるのです。王様は他人の指導を受けないからです。これぞ高慢に対する強烈な皮肉です。コリント教会の人々は、神様が与えて下さった使徒達の指導を受けなければなりませんでした。それが謙遜な姿なのです。

★高慢は教会を破壊し、分裂と分派をもたらします。私達人間は神様を愛すると言いながら、実は高慢になって神様の大切な教会に致命的な傷を負わせてしまうことがあるのです。そのことを肝に命じ、クリスチャン品性である謙遜を身につけましょう。

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