11月23日礼拝 「愛で始まったのに」

(礼拝)マタイNO111「愛で始まったのに」マタイ23章13節~33節  仁井田義政 牧師 

主イエス様は3年6ケ月にわたって伝道を続けてこられました。激しい厳しい伝道でした。そのありさまは、マタイ8:20で「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する処もありません。」と言う程の厳しい生活でした。そのようにしてイエス様は人々を愛して伝道活動をしてこられたのです。しかし今日の御言には、イエス様の残念に思う心が噴出しています。

★イエス様の伝道生涯の初期には「幸いです。心の貧しき者」で始まっています。しかし生涯の終わりは、パリサイ人への「わざわいだ」との言葉が繰り返えされています。初期にイエス様は、パリサイ人の家にも、罪人の家にも親しみを込めて訪問されました。罪人達はイエス様を受け入れ、パリサイ人はイエス様に敵対し殺意を抱くに至ったのです。

★パリサイ人は、自分達は聖いのでそのまま天国に行けると信じていました。それとは反対に、罪人は悔い改めても天国には行けないと考えていたのです。イエス様はパリサイ人に「他の人をも、自分をも天国に行けなくし、ゲヘナの子にしている。」と言われたのです。「礼拝においても、献げ物の細かいことばかりに囚われて、大切な神様を見失っている」と言われました。イエス様は「だからと言って十一献金をおろそかにしてよいと言っているのではありません」と言っておられます。

★イエス様は、パリサイ人の見せかけの信仰を指摘されました。見せかけでも人は騙されます。だから当時の人々は、パリサイ人を尊敬していました。彼らの多くは律法学者でした。学歴が彼らを立派に見せたのです。しかしイエス様の眼はごまかせませんでした。彼らをイエス様は「白く塗った墓」と叱責なさいました。そのような者は、自分も人々をも滅びに至らせる蝮のような存在であり、その罪は必ず神様によって裁かれると告げられました。

★イエス様の伝道は、パリサイ人にも罪人にも、平等な愛を持って始まりました。しかし今、イエス様の伝道生涯の終わりに「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人」との悲しい叫びで終わるのです。あなたはパリサイ人のような人ですか。もしそうならキリストの救いを感じないでしょう。しかし罪人のような人ならば、キリストを必要な人でしょう。自分の不完全さ、罪ある自分を認め、イエス様の愛を感謝して受け入れクリスチャンになって下さい。

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