(礼拝メッセージ)「神にはできる」マルコ10章23~31節
仁井田義政 牧師
先週の聖書箇所には富める青年が出てきました。せっかくイエス様の所に永遠の命を得る方法を聞きに来たのに、イエス様の言葉に「顔を曇らせ、悲しみながら帰って行った」と言う所から話しました。イエス様の真理を理解し実行するのは、大変難しいという失望でした。
★イエス様の「金持ちが救われるのは難しい」(23節)という言葉に、弟子達は驚きました。イエスはさらに、その難しさの程は「ラクダが針の穴を通る方がやさしい」と言われました。もう不可能だと言っていると同じ言葉です。弟子達がまたその言葉に「それでは誰が救われることができるのだろうか」(26節)と驚きました。それはもう絶望的な言葉として聞こえたのです。
★するとイエスは、失望する弟子達をじっと見て「人には出来ないが、神には出来ます。神にはどんなことでも出来るからです」と言われました。すると弟子達は「私達はすべてを捨てて従ってきました。」と言いました。マタイの福音書には、そのあとに「私達は何が頂けるでしょうか」(19:27)と言っています。弟子達も全てを捨ててイエス様に従ったのも、もっと凄いもの、つまりイエス王国の富と権力を得たいと思って着いて来たのです。そのことがこのペテロの言葉で明らかになってしまいました。
★イエス様は本当に着いてくれば「捨てた百倍をうけます」(30節)そしてその与えられる最高のものは、「永遠の命」ですと言われました。そして「先の者が後になり、後の者が先になる」とも言われました。それは、いま去って行った金持ちの青年も、あなたがたの先になるかも知れないという意味が含まれます。それが神の業なのだと言うのです。
★イエス様のその言葉に果てしない愛を感じます。教会にも先の者がいれば、後の者がいる。分かりやすく言えば、いま信仰がしっかりとしている者がいれば、信仰の弱い者がいる。今日の富める青年のように、あんなに熱心にイエス様の所に来たのに、最後には「顔を曇らせて」去っていく人もいます。この金持ちの青年だけではなく、聖書には他にもイエス様の所に来たのに、暗い顔で去っていった人が記されています。ニコデモです。しかし彼はイエス様の埋葬の時に、30キロもの没薬を持ってきました。十二弟子が隠れていたその時です。私達は「神には出来る」というその言葉を信じて、弱い人をも大切にしていきましょう。