(礼拝メッセージ)「野心家とイエス様」マルコ10章38~45節
仁井田義政 牧師
野心家と言われる人は、向上心の強い人です。そのような人は出世欲の強い人とも言われます。向上心の無い人の方が問題かもしれません。イエス様は、決してそれらのことを否定しておられません。何にその力を向けるかです。イエス様は、その事こと弟子達に教えられました。私達にとっても、それは大切なことです。
★ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、イエス様の右側と左側に着くためなら何でもしたいと考えていました。何万という人々が歓声をあげるコロシアムや王宮で、勝利者イエス様の右と左に着きたいと思っていたのです。イエス様の死の予告と、エルサレムから伝わってくる不穏な噂。しかしイエス様なら大丈夫だろうと思い、王となる前に自分達兄弟の場を確実なものにしておこうと、イエス様に「私達をイエス様の右と左に座らせてください」と願い出ました。まさにみなぎる野心であり、向上心です。
★その願いにイエス様は「自分が何を求めているのか、分かっていない」と言われました。イエス様は「私の飲む杯を飲むことが出来るか」と言われました。すると即座に、二人は「できます」と即答しました。その立場の為なら戦争だってするとの決心とみることが出来るでしょう。命をかける覚悟であったのです。彼らの向上心は強固なものでした。その野心の為に彼らは従ってきたのです。他の十人の弟子達も、41節に「このことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた」と記されています。
★すかさずイエス様は、「人の上に立ちたいと思う者は人の僕となりなさい」と教えられました。弟子達の「権力者になりたい」という気持ちは、少なからず私達自身の心にもあるでしょう。そう認めることによって初めて、今日のイエス様の御言があなたを照らし変化させるのです。イエス様はご自分を例に「人の子が来たのも・・仕えるためなのです」と教えられました。そしてあなたがたも人の上に立ちたいと思うならば「人に仕えよ」と教えられました。
★私達人間にとって、野心家と言われるくらい情熱と行動力のあるのは素晴らしいことです。しかしその熱心、情熱が、誰の為であるのかが大切なのです。自分の出世欲のためであるならば神様を知らない人と同じです。人に仕えられるのではなく、人に仕える人になりましょう。単なる野心家ではなく、イエス様に倣って、神と人に仕える人になりましょう。