4月10日礼拝「偶像礼拝を避けよ」

第一コリントNO29「偶像礼拝を避けよ」10章14~22節 仁井田義政 牧師

venus_greece 当時ギリシャ文化の影響のもとに、至る所に偶像の神殿がありました。その中でもコリントの町には、不道徳を拡散していた女神アフロディテの神殿とその支配があったのです。その中でクリスチャンが正しい信仰を維持していくためには、偶像礼拝との決別が重要でした。その状況は、現代日本も同じです。日本において、生涯クリスチャンである為には、偶像との完全な決別が大切なのです。

★今日の御言は「ですから」で始まっています。それは、7節の「偶像礼拝者となってはいけません」と繋がっているのです。原文の「避ける」は「遠くに逃げる」という意味で、大きく距離を開けることを意味しています。

★コリントの人々も、多くの偶像を信じていた中からクリスチャンになりました。どんな宗教を信じていたか、無宗教であったか、は関係ありません。キリストの十字架によって、全てが洗い清められ、キリストの体である教会の一員となったのです。その交わりの象徴として聖餐式が行なわれます。それで聖餐式を原語では、交わりを現わす「コイノニア」と記されているのです。そこから英語では聖餐式を「コミュニオン」と言っているのです。

★偶像礼拝とは、偶像が何万あろうとも神々が何万と存在するわけではありません。その陰に悪霊がいて悪霊自身を礼拝させているのです。クリスチャンであって偶像を礼拝するのは、悪霊礼拝者です。そのような者とキリストの体である教会は、交わり「コイノニア」を持つことが出来ません。その為に、そのような人には聖餐の停止が行なわれるのです。

★偶像礼拝は「主のねたみを引き起こす」と教えられています。一般的に「ねたみ」は、悪い意味で使われることが多い言葉です。しかし「主のねたみ」は、神の聖い愛に対する裏切りへの神の怒りのことです。偶像礼拝に対する神の怒りは、必ずその人への裁きとなって臨むのです。その裁きを人間は到底避けることは出来ません。「まさか、私達が主よりも強いことはないでしょう」(22節)と言われている通りです。クリスチャンは「異教・霊媒・占い・異端」からはっきりと決別しましょう。主のねたみを自分の身に引き起こしてはいけません。聖い主の愛に感謝し、祝福の聖餐式にあずかり続けましょう。

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