1月24日礼拝メッセージ「神が召された者達」

第一コリントNO21「神が召された者達」第一コリント71724仁井田義政 牧師

 7章全体を見ますと、コリントの教会において、そこに集う人々が数多くの問題で苦悩する姿が伝わって来ます。1章から見ますと、さらに派閥争いや自分達の派閥の指導者選び問題などなど、収拾のつかない状態に突入していたことがわかります。このままではせっかくの教会が壊滅してしまいます。思い余ったコリントの心ある人たちが、海を隔てたエペソの教会にいるコリント教会創立者のパウロに手紙を書いて、どのように考えることが正しいのかを質問しているのです。パウロはその解決策を示しています。今日の御言葉に見る解決策のキーワードは、「召し」と言う言葉です。

★ユダヤ人の男性は、みな割礼を受けて正式にユダヤ人となり、ユダヤ教の信徒となりました。コリントの教会には、キリストに救われるためにも割礼が絶対に必要であるとする派と必要ないという派が存在していました。パウロは「割礼のあるなしではなく、重要なのは神の命令を守ることである」(19節)と記しました。

★またクリスチャンになった人々には、奴隷階級の人々も多くいました。その人達は、自分達が奴隷階級であることを自由人達の前で卑屈な思いになっていました。また自由人達は、奴隷階級の人達に優越感をもって接していたようです。パウロは「奴隷であっても、主に召された者は主にある自由人。自由人であっても主の前には奴隷なのです。」と教会においては平等であることを教えました。

★ユダヤ人キリスト者から「キリストは割礼を受けていたのですよ」と言われたら、受けていないギリシャ人にとってはひとたまりもない状況だったでしょう。自由人の主人達から「奴隷は奴隷だ」と言われたら、気の弱い奴隷は委縮するか、気の強い奴隷は暴動を起こすかであったでしょう。パウロは「教会の全ては神様(イエス様)に召されたことが最も重要なのだ」と教えました。 

★今日の聖書で重要な言葉は、「召された」と言う言葉です。神様は、目的を持って人々を教会に召されたのです。私達の教会も、2月7日に教会会議が終わると2016年の活動が開始されます。神様が私達を召して下さった目的を完成するために、ひとつとなって活動していきましょう。

 

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