第一コリントNO22「持てる者は持たぬ者のように」第一コリント7章25~40節 仁井田義政 牧師
今日の聖書の箇所は、難解なところです。なぜかと言うと、私達の生活とあまりにも危険度が違うのです。この時代、クリスチャンであるということは命がけでした。パウロは、コリントの教会に忍びよる迫害の危険を感じていたのです。そのような迫り来る危険という立場に立って今日の御言葉を読む時、まさに生きた御言葉となって私達に迫ってくるのです。
★コリント教会の親達が、乙女の結婚について質問してきました。パウロはその質問に「結婚してもしなくても罪はない。しかし出来れば結婚しない方が良い」と記しました。そればなぜでしょうか。
★パウロの意としたことは「そのような目に遭わせたくない」(7:28)との言葉から分かるように、迫害の苦しみとの関係からそのように記したのです。結婚すれば、愛する妻や夫が迫害で殺されるような時、その苦しみと悲しみは幾倍にも増すだろう。さらに結婚すれば子供が生まれる。その子供が信仰のゆえに迫害を受ければ、親の悲しみはさらに幾倍にもなる。それゆえに一人の時に耐えられることも、家族の苦しむ姿には耐えられないであろうと言うことから出てきた教えでした。
★パウロは、さらにそのような苦しみの時代に生きる方法を教えました。結婚している者は、結婚していることに没頭しないように。している者はしていない者のように。結婚していない者はしている者のように生きるのである。無機質な人間になってはならない。物欲に対しても物欲に支配された生活をしてはならない。そのような生き方をしていると、それらが奪われた時に立ち上がれない程に失望してしまうからであると教えているのです。
★今日のところで大切なことは、心の偏りがクリスチャンを信仰から逸らしてしまう危険性があると言うことです。そうして解釈してみるならば、私達にもそのまま当てはまります。仕事や趣味に心が偏り没頭してしまうならば、神様のために何もしないで一生が終わってしまいます。結婚している人はしていない人のように、学生は学生でない人のように、サラリーマンはサラリーマンでない人のように主のために生きる、これこそ信仰による新しい生き方ではないでしょうか。私達は、どんな時にも神様のために生きる人生を歩んで行きましょう。