第一コリントNO23「愛は知識にまさっている」第一コリント8章1~13節 仁井田義政 牧師
パウロは7章において、迫害が迫っている状況下でのクリスチャンの結婚観について記しました。8章に入るとがらりとテーマが変わり、偶像に捧げた肉を食べることが是か非かの問題に入ります。それもコリント教会から質問されたテーマであったと考えられます。
★コリント教会の信徒達の多くは、ギリシャ人でした。そしてギリシャ人達は知識の民でした。当然クリスチャンになったギリシャ人達も、知識を最高の価値と考えていたのです。しかしパウロは、知識は人を高ぶらせる危険があるので、知識よりも愛を最高の価値としなければならないと教えています。しかも神を愛するという立場を堅持するクリスチャンが、本当には神に知られているクリスチャンだと記しました。
★パウロは「本当のキリスト教的真理によれば、偶像なる神は存在しないので、偶像に捧げた肉を食べても問題ない」と理解していました。パウロに手紙を出して質問したグループは、正しい知識を持った人々であったと考えられます。「この世に唯一の神がいるだけで、偶像なる神などは存在しないので、偶像に捧げた肉を食べても問題ない」とは正しい知識でした。
★「 しかし」で始まる7節からの御言が、1節の「愛こそ知識に優る」ことを説明しています。教会には偶像に捧げた肉に対しての正しい知識に到達していない者もいました。「知識のある人が偶像に捧げた肉を食べるのは自由だ。しかしその自由が弱い人を躓かせてしまうことになってしまうなら、弱い人を躓かせないように私は偶像に捧げた肉を食べない」とパウロは言っています。★現代に当てはめるならば、まさに知識の集積である科学の暴走の危険です。知識は良いもので悪いものではありません。しかし愛の無い知識は、弱者に牙をむく暴力となる危険があるのです。たとえば生命科学においてもクローン技術が発達し、ヒットラーのような人物をいくらでも作れる時代に突入しているのです。知識を最高の位置におき、それが暴走すると、人類の壊滅に繋がる恐れがあるのです。そしてそれを止めるために、知識の上には愛が必要であることが明白となってきました。愛は知識にまさっているのです。弱い立場にある人達の為に、自分の知識と自由を制限できる愛を持ったクリスチャンとなりましょう。