3月3日礼拝メッセージ「イエス様は先頭に立って」

(礼拝メッセージ)「イエス様は先頭に立って」マルコ10章32~38節

                          仁井田義政 牧師

 イエス様と弟子達は、エルサレムに向かいました。しかし目指す目的は違っていました。イエス様は、エルサレムで多くの人々の救いの為に十字架につけられ死ぬためであり、弟子達はエルサレムに行って権力者となるためでした。このイエス様と弟子達の求めるものの乖離こそ、私達の最も気を付けなければならないことなのです。

★イエス様と弟子達のいたガリラヤからエルサレムまでは直線で100キロ。歩く実際の道のりは140キロくらいです。大体4日でエルサレムに到着します。イエス様は先頭に立ってその道を歩かれました。しかし弟子達は、「恐れた」と記されています。弟子達もこの時を待っていたはずです。弟子達の恐れの原因は、イエス様の受難予告です。それは8章31節と9章31節にあります。

★イエス様は弟子達の不安を見抜かれました。そして受難についての三回目の説明をされました。それはエルサレムでの御自分の凄惨な死のことです。しかも、最も不名誉な異邦人になぶり者にされて殺されるというのです。ですがイエス様は、弟子達が絶望してしまわないように「三日目に甦る」と話されました。(8:31,9:31)

★弟子達にとって、エルサレムは成功の場のはずでした。イエス様が王となり侵略者ローマを倒せば、長年ローマの植民地であったイスラエルの人々をその苦しみから解放したヒーロとなり、その弟子達となるはずでした。しかし度重なるイエス様の受難の話が気になり、恐れとなったのです。その恐れを無くすために、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟二人がイエス様に出世を願い出たのでした。

★イエス様は、エルサレムでの受難を何度話されたことでしょう。しかし弟子達の心は出世欲がいっぱいで、イエス様がエルサレムで実行しようとされている十字架の身代わりの死も、また罪からの完全勝利としての復活についての話も、全く理解できなかったのです。いやそのことを「理解するのを恐れ、聞くのを恐れていた」(9:32)のです。私達クリスチャンも、たとえ何年信仰を持っていても同じです。エルサレムに行かれたイエス様の愛よりも、自分の出世を愛してしまうのです。そのようなことがないように、「私の罪の赦しの為にイエス様は十字架について下さった」と心から感謝しましょう。そして十字架のイエス様をいつも崇めて、礼拝しましょう。

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