(礼拝メッセージ)NO87「御国で一番偉い人は誰か」マタイ18章1~11節 仁井田義政 牧師
いよいよ来週の日曜日から受難週です。イエス様は十字架につく為に、エルサレムに向かう直前、カペナウムの町で数日間弟子達と過ごされました。弟子達の信仰を整えるためだったと思われます。
★そこで弟子達からイエス様に「それでは天の御国では誰が一番偉いのでしょうか」と質問が出されました。しかし唐突に「それでは」と話す人はいないので、前のことと関係していることは明らかです。前のこととは何でしょうか。おそらく「魚の口からの銀貨」の奇跡に用いられたペテロや、変貌の山に登った時の三人の弟子のことなどが背景にあるのでしょう。硬貨の奇跡の時も、全ての弟子の税金を払ってあげれば問題はなかったでしょう。「王子は税金を払う必要がない」と言って、ペテロ一人の分を一緒に払っただけでした。
★イエス様は「天の御国では誰が一番偉いのでしよう」との質問に答えて、 一人の子供を弟子達の真中に立たせて「誰でも子供のようにならなければ天の御国に入ることができません」と言われました。それは子供がみな純粋で謙遜だというのではありません。大人と比べて取るに足らない存在ということです。弟子の中で自分が一番偉くなりたい等と言う考えでは、一番どころか「天の御国」にさえ入れないと言われたのです。
★自分が一番になりたいと思う者は、用いられている人を妬んだり、低い者を見下げたり、軽蔑することが多のです。しかし一番「小さい者」にさえも神から遣わされた御使いがついていて、父なる神にとりなしをしていると言われたのです。つまり神様はどんなに小さな者をも愛し、非常に大切にしておられるのだということをイエス様は弟子達に教えられたのです。
★「天の御国では誰が一番偉いか」等と言っている者は、小さな者を軽蔑し、人を躓かせて平気な人間になってしまい、結果的に神様の逆鱗に触れることになります。イエス様も一番になろうとしてこの世に来られたのではありません。この世で一番小さな者達の僕となって、自分の命を与えるために来られたのです。イエス様は、小さな者を大切にする心こそ、弟子達の集団すなわち教会に大切なこととして継承してもらいたいと願っておられます。私達はたとえ小さな者であっても、神様の恵みから漏れていないことに気づき、決して小さな者を見下げたりしないようにしましょう。私達も小さな者に喜んで仕えましょう。