13日(受難週メッセージ)「主イエス様の戴冠式」

(受難週メッセージ)「主イエス様の戴冠式」マルコ15章16~20節

                        仁井田義政 牧師

イエス様がお生まれになった時、東方の博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は何処におられますか」と訪ねてきました。そして王様への贈り物としてふさわしい「黄金、乳香、没薬」を捧げていきました。それから33年6カ月経った今日の聖書の箇所で、イエス様の戴冠式が行なわれているのです。今日は「キリストの戴冠式」という受難週のメッセージをお伝え致します。

★祭司長たちは「もうこれ以上、罪の証拠の必要があるか」とばかりに、イエス様の処刑を叫びました。総督ピラトは「祭司長たちは妬みから」そう叫んでいることを知っていました。つまり真実を知っていたのです。しかしピラトは真実よりも自分の身の安全を優先し、キリストを十字架に渡しました。

★イエス様を受け取ったローマ兵たちは、イエス様の戴冠式を嘲笑いながら行ないました。イエス様は王の格好をさせられ、頭にはイバラの冠が刺し込まれました。イエス様の頭からは、イバラの棘によって鮮血が流れ落ちました。イバラは罪ある人間への神様からの懲罰の象徴として旧約聖書に出てきます。(創世記3:18-19)ねたむ祭司長たちや、真理より自分を優先する総督ピラト、そして父なる神からさえも捨てられ、罪の裁きの象徴としてのイバラの冠による戴冠式となったのです。

★イエス様はそのような不当な裁判の中、総督ピラトさえ不思議に思うほど黙っておられました。これは罪を隠すための黙秘権の行使とは違います。自分に掛けられる不当な罪の受容という目的からでした。その場にいた人々には、そのようなイエス様の姿は弱さにしか見えなかったでしょう。しかしそれはイエス様の強さでした。イエス様は、人類の負ってきた罪の象徴であるイバラの冠を自分の上に戴いたのです。  

★イエス様のこのような強い生き方の前に、人間は何と欺瞞に満ちたものでしょう。祭司長たちは、イエス様の所に人々が集まると嫉妬し、嘘をついてまで殺そうとしました。その訴えを受けたローマの支配者ポンテオ・ピラトは、それを知っていながら群衆の機嫌を取るためにイエス様の十字架刑を宣告しました。イエス様は、頭に人間の罪の象徴であるイバラの冠を受けられたのです。そして十字架に付かれました。無言でイバラの冠をかむられたイエス様の愛に感謝して、心からの祈りをお捧げ致しましょう。

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