12月8日礼拝メッセージ「アドベントと深い憐れみ」

礼拝メッセージ(マタイNO73)「アドベントと深い憐れみマタイ14章13~21節    仁井田義政牧師          

イエス様は、ヘロデがバプテスマのヨハネを殺害したことを聞いた時、ひとり舟で寂しい所に向かわれました。静かな中で祈りたかったのだと思います。しかし群衆は先回りして荒野にまでやってきていました。

★舟よりも徒歩の方が早かったことを聖書は記しています。それは、明らかにイエス様を見失うまいと急いでいる群衆の姿を表わしています。それは五千人以上の人々の移動でした。なぜそんなにイエス様を求めたのでしょうか。それは都会にはなかった真理をイエス様が伝えていたからです。それは罪人と言われていた人々の救いの言葉でした。

★イエス様は心を揺さぶられてその群衆を見て、病気を癒されました。病人と言っても、荒野まで先回り出来る程の人達ですから、重病ではなかったでしょう。それならばイエス様は、群衆の何に心が揺さぶられたのでしょうか。それは都会の宗教者から「罪人」と言われ続けて来た彼らの人生です。当時「病気は、本人か親の罪の結果」と言われ、本人もそう信じ悩み苦しんできたのです。病気でないまでも社会の底辺で、職業的に民族的に罪人と言われて来た人たちもいました。その人達に「あなた方は神様にとって大切な神の子です」と言われました。その言葉に新しい希望の光を感じたのです。

★その後に、五千人を養ったパンの奇跡が記されています。その意味は、「あなたがたで与えよ」と言われた時の弟子たちの戸惑いの中に表されています。一個百円のパンとして男性五千人に配るには、五十万円が必要です。その他にも女性や子供達がいたと思われますから、一万五千人位の人々がいたのではと思われます。とすれば百五十万円が必要だったのです。たとえお金があったとしても、荒野で一万五千個のパンをどのようにして購入できるでしょうか。弟子たちが途方に暮れるのは当然です。

★弟子達はイエス様に従う前は罪人と言われた側の人々で、自分の生活だけを考えていれば良かったのです。しかしイエス様に従った今は「あなたがたの手で5千人に食べ物を与えよ」というイエス様の言葉と直面するのです。これはイエス様に従う私達クリスチャンも直面する言葉です。私たちも持っているものは自分のために用いるだけで精いっぱいで、どうして5千人に分けることができるでしょうと戸惑ってしまいます。しかし、そのわずかな物もイエス様の祝福の手にお任せする時、5千人の為になるのだとイエス様は言われるのです。群衆を深い憐れみの目で見られ、私達の能力を超えて祝福して下さるイエス様を感謝して心からお迎え致しましょう。

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