12月15日礼拝メッセージ 「嵐の中のアドベント」

礼拝メッセージ(マタイNO74) 嵐の中のアドベントマタイ14章22~36節  仁井田義政牧師          

 アドベント第三週に入りました。今日の御言は、イエス様が嵐の湖の上を歩いて来られたというところです。先週もお話いたしましたが、アドベントとはラテン語で「到来」を意味する言葉です。イエス様は嵐の湖の上を歩いて来られましたので、メッセージ題は「嵐の中のアドベント」といたしました。

★イエス様は弟子達を舟に乗り込ませた後、一人で山に登り祈られました。祈りの内容は記されていませんが、おそらくバプテスマのヨハネの殉教に関しての祈りだったでしょう。そして弟子達の為の祈りであったと思われます。イエス様の弟子達は、イエス様と離れた嵐の中で信仰を学ばなければなりませんでした。だからこそイエス様は、弟子達を「強いて」舟に乗り込ませたに違いないのです。

★弟子達の舟は、夜の湖で激しい嵐に遭いました。さすがの漁師出身の弟子達も、どうすることも出来ない程の嵐でした。どれほど嵐と闘ったでしょう。もう精根尽き果てた夜中の三時頃、イエス様は弟子達に近づかれたのです。

★夜中の三時とは、まさに真っ暗な世界でした。その時イエス様は、弟子達の所に湖の上を歩いて近づいて来られたのです。それは、弟子達にとって想像外の出来事でした。弟子達はイエス様を見て、自分達を死の世界に導く幽霊だと思いました。イエス様が暗闇の中で恐れの渦巻くその所に来て下さったのに、その方を自分達に危害を与える危険な存在と見たのです。

★イエス様は「しっかりしなさい、わたしだ。恐れることはない。」と言われました。「私だ」はギリシャ語の「エゴー、エイミ」で、神様がその存在を現わされる時に用いる言葉でした。その言葉を聞いて、飛び出したのがペテロでした。しかしその信仰も、大きな波を見て恐れ沈みかけたのです。ペテロがそうであったように、クリスチャンになったからと言って信仰が完全であるわけではありません。大きな問題を見ると恐れ、イエス様から目を離すことがあるのです。イエス様は、そのペテロの手を取って引き上げて下さいました。

★舟の中の弟子達は、その一部始終を見ていました。波に飲まれそうになっていた彼らを救って下さったのは誰か。途中でイエス様から目を離して死の底に沈みかけたペテロに、手を差し出して救って下さったのは誰かを見ていました。波の上を歩いて彼らに近づいて来られたイエス様なのです。イエス様こそ人間の死と絶望に近づいて来られた、つまりラテン語の「アドベント」なるお方なのです。私達もこのお方を人生の舟にお迎えしましょう。

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